双六二等兵

ポッケにさすらい 心に旅を 日々を彷徨う一兵卒の雑記帖

ふうちゃん

|猫随想|


つい先日のことだ。父よりこんな話を聞いた。父が知人からの頼まれ事で、二丁目のOさん宅を訪ねたときのこと。Oさんは長くこの辺りの区長を務めた人で、齢七十半ばとなる現在でも、何かと世話役的な存在でご健在なのだが、父がOさんと顔を合わせるのは、随分と久しぶりのことであったらしい。玄関先で用事が済んだ帰り際 「そう云えば”ふうちゃん”はどうして居ますか?」 と聞かれた父は、”ふうちゃん”が癌を患って十年近く前にこの世を去ったことを告げると、Oさんはがっくりと肩を落とし「そうでしたか。もう長いこと見掛けなかったので、今頃どうして居るかなぁ、と…」 すると廊下の向うから 「ふうちゃん?ふうちゃんがどうかしたの?」 奥さんが不意に顔を出した。ああ、ホビ野さんの御主人がいらっしゃってね。今しがたの話を説明するOさんの言葉に、奥さんは 「本当にねぇ、ふうちゃんはやさしい子で。いつもお昼の頃になると縁側の方からやって来て、夕方くらいまで一緒に居てくれたんですよ。来てくれると嬉しくて…」 とほろほろ涙を流した。奥さんは元々が病弱のため、余り外へ出ない人なのだが、ここ数年は腰のヘルニアが酷く、寝て居ることが多いのだと云う。



一体、この”ふうちゃん”とは何者か。ふうちゃんは、私が十八の頃にバイト先の同僚の友人宅から貰い受けた、白雉の雄猫のことである。並外れて大きな体躯。目鼻口、何れもが並外れて大きな顔の造作。その巨大な頭蓋から「爆弾おにぎり」との渾名も付いた程だが、見目に反して性格は穏やかで喧嘩を好まず、面倒見も宜しく、それ故に近所の猫たちからの猫望も厚かったよで、実に心根の優しい、誰からも好かれる稀な猫であった。当時は室内だけで猫を飼う家は未だ珍しかったし、我が家でも猫らは自由に外を出歩いて居たのだけれども、ふうはそうした猫の常として、所謂”別宅”と云うのを何軒か持って居り、中でもどうやらこのOさん宅が、いちばんの気に入りであったらしいことは、私も知って居た。未だふうが若くて元気な頃だったか。一度、母がOさんから「ふうちゃんを是非とも譲って頂けないか」と懇願されたことが在ったのだ。身内がどう贔屓目に見ても器量良しと云えぬ、ダミ声の、ありふれた雑種の大猫である。突飛な申し出に驚くのと同時に、何やら嬉しくも想いつつ、しかしながら勿論、是を丁重にお断りしたのだが、Oさんはかえってこちらが申し訳無いくらいにひどく恐縮し、後日お詫びにと、菓子折りに加え、ふうの好きなおやつを持って来たと云うのだから、余程に可愛がられて、大層良い思いをして居たに違いない。
又、ふうは分別を持った極めて慎重な猫で、我が家の在る四丁目からOさんの二丁目まで行くには、人の足で五分弱程だが、車の往来の盛んな道路を渡らねば行かれず、いつも道路を渡る際には、しっかりと車の来ぬのを確認して渡った。行動範囲も案外広かったよである。私が駅の方から歩いて帰って町内まで来ると、車通りを挟んだずっと向こうから、しばしば、ふうの鳴きながらこちらへ歩いて来るのが見えることがあった。「姉様がそっちに行くまで、其処で待ってな!」 大きな声でそう云うと、きちんと電気屋の角で止まって待ち、私が渡り終えたところで一緒に並んで家路に就いたのを、今尚懐かしく想い出す。
ふうは我が家で十四年を暮らし、癌を患って数ヵ月後にこの世を去った。最期は居間の気に入りの定位置に敷いてやった気に入りの座布団の上で、家の者たちの見守る中、穏やかに逝ったと母から聞いた。今は作業場に植わる桜の木の下で、静かに眠って居る。


先の父の話には、実に素敵なオチが付く。動物にはさっぱり縁の無かったOさん夫妻だが、ふうとの出逢いがきっかけで猫が好きになり、昨年。初めて猫を飼うこととなったのだと云う。或る日、Oさんが近くの駐車場を通りかかった際に、ブロック塀の片隅でうずくまる野良猫を見付け、具合が悪そうだったので放っておけずに連れ帰った。翌日になって、お医者へ連れてゆくと、何とか云う病気だと云うので、急遽手術となり、随分と心配したけれど、今ではすっかり元気となって、Oさん宅で可愛がられて居るのらしい。その猫は名を”ふうちゃん”と云う。

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