双六二等兵

ポッケにさすらい 心に旅を 日々を彷徨う一兵卒の雑記帖

服と私とアメリカ好き

|モノ| |徒然|


『クウネル』五月号の特集”服と私”に「岡尾美代子の憧れおしゃれ」と「高橋ヨーコの図鑑」。前者を度々こうした場へ見掛けるのに比べて、後者は本職以外で見掛けることが殆ど無いよに想うので、その人となりを、モノと本人の言葉から知ることのできる機会と云うのは、なかなか興味深かった訳だけれども、ヨーコ氏とは実に共通項の多々あるのと、己のアメリカ好きを改めて自覚させられたのとで、ちょっぴり嬉しくなってしまった。

ku:nel (クウネル) 2014年 05月号 [雑誌]

ku:nel (クウネル) 2014年 05月号 [雑誌]


兎に角、服は体にぴったり沿うものがてんで駄目で、ぶかぶかが信条である。身幅はたっぷりでも、丈は程好く短めが理想なのだが、大抵の既製服は身幅に合わせて丈も長めの拵えなので、其処は切ったり詰めたり。一寸だけ手を加えて自分仕様にして居る。靴は大きめのずんぐり型。靴下はなるたけ愉しい色柄で、しっかり踝の上まで来る長さでないと心細い。鳥打帽は八枚接ぎか六枚接ぎが良い。所謂高級なブランド品や流行モノの類には、全くと云って良い程興味が無く、何れもシャツならこう云うの、ズボンならこう云うの、と求めるものの好みが、馬鹿の付く程はっきりとして居るため、服を選ぶ際にあれこれと迷うことは殆ど無いよに想うのだけれども、半面厄介もつきもので、巷にそうしたものが見当たらぬことも多く、自然と古着だとか作業着(ワークウェアと云うの?)を頼ることとなる。
そもそもが木こりだの森番、牧童、ブルース弾きの爺さんらの佇まいに長いこと憧れて居る所為か、普段着と云うとそんな塩梅だもので*1、ヨーコ氏のファッション持論「他人から見たら”は?”かもしれないけど、自分が満足してればそれでいいんです。自己完結のロマンですよ。」に納得。昔から、他人からどう見られるか、と云うよな事柄には全くの無頓着であったから、それを基準にして、何を着るかが決まるなんてのは、とんと考えが及ばぬし、仮に自意識なるものが在るとするなら、それは外へ向けられたものではなく、あくまでも自らの中に完結するものかしら、と。*2


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荒野の呼び声 (岩波文庫)アメリカン マヨネーズ ストーリーズClosing Time
Classic Railroad Songs From Smithsonian Folkways[asin:B00006JTG5:image:w150][asin:B000002GYL:image:w150]
又、英国かぶれで、ヨーロッパ的なものが好きな一方、実はそれと同じくらいアメリカ好きであったりもする。ニューヨークみたいな北部の都会よか、中西部だとか南部辺りの町、西海岸のリベラルな気風の町が良い。アムトラックにグレイハウンド。垢抜けないスリフトショップ。チェックのネルシャツや作業着。車なら(乗れないけど)旧型のピックアップトラック。殺風景な国道。街道沿いのドライブイン。古ぼけたダイナーの薄いコーヒー......。
ハリウッド的な軽薄さや派手さ、根拠の無い自信過剰、無闇矢鱈に押しの太いところなど、嫌な部分も確かに多いのだけれども、歴史の浅い国故の気楽さだとか、ざっくり大雑把で懐の深い感じだとか。ロッキー山脈や国立公園などのでっかい自然など。好きな部分だって沢山在る。


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そう云えば、こないだ十数年前の写真を見て居たら、緑のチェックのネルシャツの上に、ボアのついた茶のベスト*3、グレイのペインターパンツと云った格好で、現在と殆ど変わらぬばかりか、その何れもが今尚現役なのであったよ...。

*1:たまにスカートもはくけれど、丈はぞろっと長めで、ギャザーのたっぷりしたの。

*2:その辺りの自意識に関する諸々は、十代後半から二十代初めの痛々しい時代に散々とやり切って、すっきりと片を付けた(笑)。

*3:人はそれを”マタギのベスト”と呼ぶ。

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