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五十の声を聞いたのは三年前。ああ、ようやっと五十路の入口へ立てたか、と些か感慨深く思いつつも、五十と云う年齢と己の中身との不釣り合いさに愕然としたのも事実であった。あれから三年。私は幾らかでも、五十路を名乗るに相応しい人間へと近づいたのだろか。極めて怪しい。
確定申告のあれこれを終えて一段落し、そんなことをもやもやと考えて居たところで、何とは無しに手に取った『小泉放談』。51歳の小泉今日子と、人生の先輩や同世代の女性たち25人が、それぞれの女の五十代以降について差し向いで語らった放談集である。キョンキョンは確か今年還暦だから、大体十年前になるのかな。どの方の話も興味深くて、自分にとっても馴染み在る昔の話を懐かしんだり、あーやっぱりそうなんだねー、と納得したり。特に更年期と、それが去った後のスコンと抜けた感じのお話は、まさにお年頃真っ只中の私にとって、善き道しるべとなるに相違ない(笑)。五十に入っての急激な心身の不調は、何だかんだ皆さん経験していらっしゃる。
そして意外だったのは、五十になるときは何となくなっちゃった感じで、むしろ四十になるときの方が”うわー”って感じだった、と仰る方の多かったこと。はて。自分は四十になる辺りの頃、どうだったかしら。日記を振り返ってみると、実に小屋づくりに興じて居たのが、まさしく2015年から16年なのだった!そうだったかぁ。今なら気力体力共に恐らく無理だったろなぁ…。十年はやはり大きい。
中野翠氏が、沢村貞子みたいになりたいと憧れるけれど、自分には絶対に無理だから森茉莉に活路を見出した!と云うよなことを話して居て、思わず「成程!その手が在ったか!」と膝を打った。何だか物凄く合点のゆく良い答えを貰った気がした(笑)。
若い頃は大抵、自分のことだけ考えて居れば良かった。勝手にすっ飛んで居ても平気であれた。それが四十になり五十になると云うと (既婚未婚、子の有無に拘わらず) 自分以外の存在や周りの物事、社会と否が応にも向き合って関わっていかねばならず、そしてそれに付随するあれこれが、内でも外でもモグラ叩きのよに次々と出現する。身近な人たちの死や病だったり、介護だったり、自らの健康だったり。今まではぼんやりとしか考えなかった人生の残り時間が、急に見えてきてハッとする。心に体がついてゆかず、体に心がついてゆかず。ゆらゆらして、もやもやする。
還暦を迎えたキョンキョンは、五十に入ってからの十年間をどう過ごしたのだろか。またこの放談みたいな形で話してくれると嬉しい。先を歩いた人から「大丈夫だよ、こっちはこんなだったよ」と肩をポンてして貰ったら、きっと怖くなくなるのじゃないかしら。
そうしてこれから先に経験するであろう未知の変化を、しんどいとばかり考えずに、時々でも面白がれたらな、なんて思う。
