双六二等兵

ポッケにさすらい 心に旅を 日々を彷徨う一兵卒の雑記帖

阿房列車 もしくはセンチメンタル・ジャーニー

|小僧先生| |散策|


なんにも用事がないけれど、電車に乗って那珂湊へ行って来ようと思う。
と云うことで、小学二年生となった小僧先生を連れて、湊線に乗って来たのである。前回 () が六年前で先生は未だ二歳。当時はご自身が”電車になりたい”くらい電車が好きであったのが、近頃ではめっきり電車のでの字も聞かれないもので、色好い返事を期待せぬまま控え目にお誘い申し上げたところ、意外にも意気揚々「行きたい!」と仰った。
当日。売店にてじゃがりこを買い求めた後、常磐線に乗って勝田駅で下車。其処から湊線の乗り入れる一番線へ向かう。
「あ、先生。あちらから電車が来ましたね」
「ふむ。狭いから一寸下がろう」
入線してきたのは、動物などのイラストの描かれたカラフルな新型車両で”アニマルトレイン”と呼ばれて居るのらしい。先生、静かに興奮気味である。

良く見ると児童画が入って居るのね。プレートに黒猫も発見。


「折り返しの運転となりますので、是に乗りますよ」
「今日は何処まで行くと云ったかね?」
那珂湊駅です。そこで降りて散策も致します」
乗り込んで程無く、電車はドドドの音と共にホームを離れ、時折ガタンと揺れながらレールの上を進んでゆく。震災の甚大な被害を逞しく乗り越えて今のこの風景が在るのだと想うと、何やら感慨深いものが押し寄せて、暫し黙ってゆっくり流れゆく車窓を眺めて居た。平日の昼間ではあるが、学生さんや買い物帰りの小母さんなどで車内は程好く埋まって居り、この路線が沿線に暮らす人々の大切な”生活の足”であることを、改めて感じ入る。




「おや、あの看板は変わって居て面白いな」
「そうですね。文字の中に絵が入って居るそうですよ」
近年新たとなった駅名標は、其々の駅の在る土地にちなんだイラストを、文字に組み合わせてデザインされたものだそうだ。

金上駅駅名標には、自衛隊にちなんで飛行機と戦車を。


住宅地を抜けた後、車窓には稲穂の実り始めた田園の緑が長閑に続き、勝田を出発して十数分で那珂湊駅へ到着。心配された雨は上がって、ほんの少し日が差してきた風である。島式ホームからそのまま線路に降りて駅舎の改札へ向かうのだが、先生は是がどうやらお気に召したらしく、小走りにホームを進むと早速向こう側へ渡って、こちらへ大きく手を振っていらっしゃる。

上り電車と下り電車が、島式ホームを挟んで仲良く並ぶ。


「確か君、この駅には猫が住んで居ると云ったな?」
「ええ、そう聞きました。今は姿が見えませんので、お散歩でしょうか」
「散歩なら仕方が無いな。帰りまでには戻るだろうか」
「どうでしょう、相手は猫ですから。運が良ければ会えるかも知れませんが」
「ふむ。君はまったく頼りにならぬ」
先生から駄目出しを頂戴し、お伴の面目も形無しである。

名物駅猫の”おさむ”君と”ミニさむ”嬢には、ホーム内にこんな指定席まで用意されて居るヨ。


さて。那珂湊駅で手作りの地図を貰い、阿房列車はここから街に出るとする。見知らぬ街をぶらぶらと歩くのは愉しいものであるが、先生はと云うと、やけに張り切っていらっしゃるご様子。
「いやあ、君。知らない街を歩くってのは、つまり冒険だよ!わくわくするな」
「仰る通りです。愉しみですね」
那珂湊の街には大小の神社仏閣や歴史的な名所、商店・民家を問わず古い建物も多く見受けられ、歩いて廻るに大き過ぎず小さ過ぎずの規模は、目的の無いぶらり歩きにもお誂え向き。路地に入ったり、神社で手を合わせたり、焼きそばを食べたりアイスクリームを食べたり、坂を上ったり下りたり。二時間程の散策を終えて駅まで戻って来ると、帰りの電車に丁度の頃合であった。ベンチに腰掛けて冷たいお茶を飲むなどする内、やがて改札が開く。
「先生。あれはひょっとすると、ミニさむ嬢ではないでしょうか」
「おお!」

ホームで香箱の”ミニさむ”嬢。そっとなでると、横にごろりん。


残念ながら、おさむ君の姿は無かったものの、最後に会うことが叶ったミニさむ嬢と戯れて居ると、案内が流れて勝田行きの電車が入線。今度もやはり新型車両だが、クリーム色と緑色が何処か江ノ電を思わせる、上品なツートーンカラー。数年前に行なわれた「車両デザインコンテスト」の最優秀作品を採用したデザインであるのらしい。


「行きと帰りで違った車両に乗れると云うのは、やはり愉しいものだな」
「先生に喜んで頂けて何よりです」

手前がキハ3710。奥に居るのが行きに乗ってきた動物電車。「3710」は「ミナト」なのかしら。


帰りの車内も程好く乗客で埋まって居り、夏休み中だが学生さんの姿が多い。ふと、傍らの先生を見れば、何やら口数少なに、じいと黙って窓の外を眺めていらっしゃる。歩き回ってお疲れになった所為かしら、と想い訊ねると、ぽつりぽつり。小さな声で語り始めた。
「嗚呼、私は確かに電車が好きであった。好きで色々と知って居た筈だのに、しかし今では、電車に関する事柄の殆どを想い出せぬ。殆どを忘れてしまったのだ。車両の名前も、種類も、かつての想い出も。
分かって居るさ。それは電車の勉強を止めてしまったからに他ならぬ。何故私は、電車の勉強を止めてしまったのか。何故止めてしまったのだろう...」
そう云い終えると、手元のザックから視線を車窓へ戻し、再び黙って遠い目をした。


そうですね。先生は確かにとても電車が好きで、だけれど御学友に同好の友は居らず、いつの間にかテレビアニメのキャラクターや戦隊ヒーロー、ゲームなど、皆が話題にするものへ話を合わせるよになっていかれた。それは或る意味で自然な流れでしょうし、母上にしろ父上にしろ、我が子が筋金入りの”鉄ちゃん”になるより、皆と同じよな遊びをする子で居てくれた方が楽なんですよ。でもやっぱり、先生の心の何処かでは、電車への気持ちがずっと消えずに残って居たのでしょう?だから、勉強を止めてしまったことが悔しくて、寂しいと感じるのでしょう?もし先生がこの先も、電車への気持ちを持ち続けることが在るのだとすれば、きっと又、機会は訪れますよ。電車の勉強をしたくなったら。できるときがきたら。そのときは、好きなだけすれば良いではないですか。
お伴は心の中でだけそう呟いて、口にはせず、只ひとつ。ぽんと先生のか細い肩を叩いた。先生には思いがけず感傷列車となった、この度の阿房列車。如何な想い出を残したのだろか。長かった夏休みが、じきに終わろうとして居る。

<