双六二等兵

ポッケにさすらい 心に旅を 日々を彷徨う一兵卒の雑記帖

月曜阿房列車

|小僧先生| |散策|

[ひたちなか海浜鉄道湊腺阿房列車]
湊腺に乗ろうと想う。湊線は片道三十分程度の小さな路線で、気軽な阿房列車を仕立てるには丁度お誂え向きかと考えた。二歳と少しになる、弟の甥であるところの電車小僧氏の付き添い、と云うお役をこれ役得とばかりに、その実、前々より私が乗ってみたかったのである。勝田駅までは義妹が、車で送迎してくれると云う。湊腺の発着する一番腺の改札口にて、一日乗車券を買い求め、幅の狭いホームへ足を踏み入れて暫し。向う側より、キハ205の入線して来るのが見えるや、クリームと橙に塗り分けられた旧国鉄車両の登場に、小僧氏は 「おお!」 と感嘆の声を漏らして、細い眼を大きく見開いて居る。予め車両運用を調べた甲斐も在ったと云うものだ。カメラを構えた鉄道愛好の諸氏が幾人かと、沿線に住まう人々の入り混じるホームでは、降りる者と乗る者とが窮屈に入れ替わる。小僧氏と二人、色褪せた群青色のボックス席に腰を下ろして、天井の扇風機だの、窓辺に備え付けられた木製の小机だの。車内をきょろきょろ見渡して居る内、やがて我々を乗せた阿房列車は、ドドドと唸りながら、ゆっくり走り始めた。


経た年月による車両内部の傷みは、しかしながら貫禄のそれであり、ガタゴトの按配も又いとおしい。些か弱めの冷房とて、冷房の苦手な私にはかえって有難いくらいで、それにしてもまぁ、良くぞ未だ現役で走行してくれて居るものだなぁ、と感じ入る。と、開閉式の窓に額をくっつけた小僧氏が、突然何を想ったか、ふと身を起こすと、きょとんとして曰く。
「どうやら車掌が居らぬようだが?」
「先生。これはワンマン車と云いまして、運転手が一人居るだけなのです」
「ふむ。そうか」
「はい」
また暫くすると、小僧氏がもぞもぞやりだして、私のザックを覗き込んで云う。
「君。確かラムネ菓子を持って来て居なかったかね?」
「はい。持って参りましたよ。他にも握り飯やら煎餅も在りますが、如何しますか?」
「握り飯は結構。私はラムネ菓子が食べたいのだ。早く出し給え」
「あ。そろそろ那珂湊駅です。先生のお好きな旧い車両が色々在りますよ」
俄かに線路が開けて来ると、古びた駅舎の風情も懐かしい、那珂湊駅に到着した。我々は一旦、このまま終着の阿字ヶ浦駅まで行き、数分後に折り返しの列車に再び乗り込んでから、那珂湊で改めて途中下車。件の車両などは後程に、ゆっくり時間を取って見学する予定であるので、駅周辺の様子を車窓よりざっと眺めるに留めた。この辺りから、あれよあれよと天気が晴れてきて、陽射しがじりりと強くなる。小僧氏と二人、持参の冷茶など飲んで涼む。
程無くして、列車は終着の阿字ヶ浦駅に到着。終着の駅とは云え、また随分とこじんまりした佇まいだが、夏の昼下がりの、のんびり間延びした按配が、また何とも云えず良い。その昔は、海水浴の季節になると、上野駅から海水浴客らを乗せた臨時列車が仕立てられた、と云うのだから、賑わう風景も在ったのだろうが、兎も角、ここはのんびりである。真夏の陽射しに打ち付けられ、赤錆びた野ざらしの車両や、夏草の茂った終着の風景は、我々の額にじっとりと汗を促す。小さな駅舎の横の休み場にて、陰を求めてほんの一時腰を休めた後、発車の準備が整ったところで再び、折り返しのキハ205に乗り込んだ。
元来た線路を引き返して、列車はやがて那珂湊駅へ到着。
「先生。ここで降りますから、靴を履いて下さい」
暢気に靴など脱いで寛いで居た小僧氏に、慌てて靴を履かせて列車を降りる。
なるほど。某炭坑映画のロケイションで使われて居ったのは、この駅舎であったのか。ホームに被った、大きな木造の屋根の造りを見て合点がゆく。小僧氏はと云うと、何はさて置き、線路脇に待機した旧車両群に目を輝かせて居り、しきりに私の上着の裾を引っ張るもので、一旦は駅舎に引っ込んだものの、炎天下の島式ホームへと戻ることとした。
「おい君。あの黄色いのを見たかね?早く写真に撮り給え!」
「はい。そのつもりで居りますが・・・」
「撮ったかね?」
「はい。ちゃんと収めました」
こんな調子で、キハ22形やら2000形やらを写真に収め、小僧氏の気の充分に済むまで、照りつける陽射しの下、ホームの端から端を幾度も歩き廻った末、ようやく駅舎へと向うことに。
「おい。私はアイスクリイムを食べたい」
「そうですね。あ。あすこに自動販売機が在りますから、買って参りましょう」
電車小僧氏を連れて駅舎横の休憩所へ。小僧氏は、チョコレイトやら果物味と云った私のすすめにも耳を貸さず、抹茶アイスの只一点のみを凝視して居る。
「先生。本当に是で宜しいのですね?」
「如何にも。この緑色ので良いのだ」
「それでは是に致しましょう。小銭を入れますから、ボタンを押して下さい」
「ふむ」
抹茶味のアイスクリイムを片手に、小僧氏の希望で駅舎内の資料などをつらと見て廻るも、小僧氏は資料そのものよか、それを留めてあった犬釘が気になって仕方が無い。文鎮代わりに犬釘とは、なかなか粋な計らいではないか。
「君、何だね是は」
「はあ。それは犬釘と申しまして、レールを枕木に固定するのに使ったのです」
「私は是が欲しいぞ」
「はあ。それはどうも無理かと・・・。さあさ、あちらに座って食べましょう」
犬釘に執着する小僧氏をなだめすかして、入り口付近のベンチに越し掛ける。一口食べる度、口の周りに緑の髯の輪を付けるので、その都度、手拭いで拭ってやりながら次の便を待つ。そこでふと、義妹に帰りの時刻を知らせて居なかったのを思い出し、少し離れた公衆電話まで電話をかけにゆこうとすると、小僧氏は、外は暑くて嫌だからここに居る、と云って聞かぬ。やれ困ったなぁ。仕方が無いので、隣に座って居た年配の女性に、すぐ戻るから一寸見て居て下さい、とお願いしてその場を離れる。用を足し、ものの二分程で戻って来ると、小僧氏は何やら神妙な面持ちで、アイスクリイムを握り締め、ベンチに直立した格好でお伴の帰りを待って居たが、私の姿を横目に確認すると、途端弛緩したよに、ぐにゃと笑みを浮かべた。緑の髯の輪が、顎先から垂れて居た。
何するでも無くそうして時間を潰す内、同じよにして時間を潰して居た人びとが、一人二人と、徐々にホームへ向い出す。勝田行きの下り上り列車が、そろそろやって来るらしい。
「今度は新しいやつです」
「何色かね?」
「白です」
帰りはキハ3710形である。横一列のロングシートで、冷房がキリキリと効いて居り、座席は大方が埋まって居た。眠かったら寝るように促すも、小僧氏、決して首を縦には振らぬ。阿房列車を無事完了するまで眠ってなるものか、と云ったところなのだろか。たった一両きりの車両は、早稲の緑鮮やかな田園風景の只中を、風景同様にのんびりと走ってゆく。この路線を残すために、様々な有志諸氏が並々ならぬ力を注いで居る。この景色の中に、列車の走る姿を残したいと願う人びとの心根に、深々頭の下がる想いがした。
「先生、また乗りに来ましょうね」
列車が勝田駅に到着し、エレベエタアの先の改札口へ向うと、義妹も丁度、迎えに来たところであった。電車小僧氏は、とっくに見えなくなった湊腺の方を見やって、しきりに指を差して居た。

ひたちなか海浜鉄道http://www.hitachinaka-rail.co.jp/

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