双六二等兵

ポッケにさすらい 心に旅を 日々を彷徨う一兵卒の雑記帖

See you soon

|徒然|


昨年の春。約十年ぶりの再会を果たした、倫敦在住の”アメリカの友人” D()から 「また日本へ行くよ」 そう連絡を貰ったのが数ヶ月前。
それから幾つかのやりとりが在って、今年再び逢えることとなった。以前にも書いただろか。私たちは十程歳の離れた友人であり、また同時に、歳の近い叔父と姪のよな間柄でもある。知り合ってから十四年。密に連絡を取り合って居た訳ではなくとも、何故だかずうっと何処かで繋がって居る、得難い友人。そんな彼が現在ドラマーとして加わって居るバンドが、今月の初めに今年も来日して各地を廻って居り、私たちはツアーの最終日に逢うことにした。姪っ子の片割れTちゃんと共に渋谷へ向かうと、丁度Dが会場へ着いたばかりのところで、ばったり鉢合わせた。立ち話も何だからと中へ入り、想いの外早くに叶った再会を改めて喜び合う。去年逢ったばかりなのに、今年もまた逢えるなんてね。何だかおかしな感じだねぇ。雨は降ったり止んだりして居た。確か、去年も雨が降って居たのだっけ。

サウンドチェックでのやりとりを眺めながら、彼の信頼の厚さは人柄なんだよなぁ、としみじみ想う。この人は、実に率直にものを云う。常に裏表が一切無い。だからときには、傍で聞いて居る側が冷や冷やするよな、辛辣な言葉をそのまま口にすることもある。自分に敬意を払わぬ相手には、決して義理立てなどしない。その代わり一旦深い信頼を得た相手には、心からの礼を尽くす。それはもう、こちらが照れくさくなるくらいに。そんな風だから、自然と人から頼られることも多いし、面倒見も良い。確固とぶれぬ一本の芯を持って居て、易々とは自分を曲げない。それでも家庭を持ってからは、ほんの少し柔和になったよな気もする。子供の話をするときは特に。Dは職業ドラマーであり、仕事ではいつでもプロフェッショナルであることを徹底して居る。このことに関して彼は、己の信念を無骨なまでに貫いて居り、故に周囲からも信頼を寄せられるのだと想う。今時珍しい、実に骨っぽい男なのだ。だからだろか。この人の見せるやさしさには、一見不器用ながらも、時折ひどく繊細なやわらかさが在る。それは本当にあったかで、心の底からじんわりするよな、おっきなやさしさ。
半時程してサウンドチェックが終わり、降り出した雨の中を近くの喫茶店へ移る。互いの近況報告、其々の暮らしぶり。去年逢ったときには未だ大統領が決まって居なくて、オバマになってくれたら良いけど、なんて話して居たんだっけ。珈琲を傍らに、寛いだ取り留めの無い話。「ところで、本国ではどうなの?」「日本とスペインでは人気が在るんだけど、イギリスでは全く駄目でね。誰も俺たちのことなんか気にしちゃ居ないみたいだ。年に数回ライブができれば良い方だし、この間のお客なんてたったの六人きりだった。堪えるよ。」 この人の入るバンドはいつもそうだったな。同業者や通筋、熱心な音楽ファンからは支持されても、商業的には苦しい。小一時間程色々な話をして、止まぬ雨の中を会場へ戻ると、前座のバンドの演奏がもう始まって居た。そろそろ入らないと。終わったらまた上で逢おう。うん、また後で。
ライブは大盛況だった。見たところ、若い人たちが多かったのだけれど、私たちを含めた三十代も、後ろの方には随分と居たのではなかろか。この年代なら彼らの曲に JellyfishFountains of Wayne、Material Issue、Owsley 辺りと同じ匂いを見付けるのは、先ず難しいことじゃないし、日本のギターポップ・ファンは、実に律義に音楽を探す。だからこうして、良質な音楽を作り続けながらも本国では評価されずに居るバンドに、これだけの人が集まる。かつての JellyfishCheap Trick もやっぱり同じで、日本のファンから評価が広まったのだよなぁ…。ふと想う。そうだよ。バンドは演奏する場所が与えられてこそ、それを聴いてくれるお客が居てこそなんだよ。もしそうじゃなかったら、どうしてバンドを組む意味など在るだろか…。
ライブが終わり、混雑を避けて階を上がると、Dも他のメンバーも、既にファンへの対応に忙しかった。何故だかTFCがかかって居て、Vo.J氏の趣味かしら。ふうん、やっぱり好きなんだな、などテーブルに頬杖ついてぼんやりして居る内に、もう十時までそれ程時間の残って居ないのに気付く。嗚呼、やだなぁ。また慌しい別れになっちゃうなぁ。ファンのサインに応じて居るDの肩を後ろからそっと叩いて、そろそろここを出ないといけないから、さよならだけして帰るよ。と云うと、旧友はペンを持つ手を止めた。「それは駄目だよ。頼むからあと五分待って。そしたら出口まで送って行く。」 「大丈夫、私たちなら構わないから。ほら、ファンを待たせちゃ駄目だよ。」 「いや、絶対に下まで送る。」 嗚呼、そうなんだよなぁ。この人はそう云う人なのだったなぁ。「大丈夫。その気持ちだけで充分だから、ね。今日は本当に有難う。Dとまた逢えて本当に嬉しかったよ。」
「是だけは云わせて欲しいんだ。君らが今日逢いに来てくれただけで、充分だった。三人して只、ああして椅子に座って。珈琲を飲んだり。只、ああして話をしたり。それだけのことが、どんなに嬉しかったか。それだけで、本当に充分だったんだ…」 そう云いながら、Dは泣いていた。眼鏡をずらして、何度も涙を拭って居た。うんうん分かるよ。そしてまたすぐに逢えるよ。ぎゅうとした抱擁の中に、共通の言語を持たぬ同士のもどかしさを、恐らく互いに苦く感じながら、しかし、それはしっかりと伝わって居るよ、心配無い。と、私は黙ってぽんと旧友の背中を叩いた。それじゃあ、もう行くからね。早足でエレベータへ向かう間、後ろのTちゃんは、ずっと私のシャツの裾を掴んで居た。
ほらほら、もう泣かない泣かない。Dが泣くのは反則だよなぁ。どうしたって貰い泣きしちゃうもの。私はエレベータの中で、Tちゃんの華奢な背中をさすりながら、自分の肩にDの掌の感触が未だ、じんわりと残って居るのを感じて居た。Dは明くる朝早くに、日本を発つと云ったっけ。一晩眠って私がいつもの日々へ戻るよに、彼もまたいつもの日々へ戻ってゆくんだな。仕事場に居る頃には、既に機上の人となって居ることだろ。そう想うと、心を残すことなくお別れができたよな気がした。それに、言葉にならぬ想いは、あったかな抱擁を通して互いに充分伝わった。それはDも同じだった筈と想う。必ずしも、言葉が絶対と云う訳じゃない。こんな風に想いを分かち合える友人が、確かに居るんだ。

<