双六二等兵

ポッケにさすらい 心に旅を 日々を彷徨う一兵卒の雑記帖

再会

|徒然|

Dと最後に会ってから、もう十年以上の歳月が経った。その間は頻繁に連絡を取り合って居た訳でも、互いの近況を詳しく知って居た訳でも無いけれど、それでも何故だか、ちいとも疎遠と感じたことは無くて、いつも何処かで繋がって居るよな気がして。アメリカの友人であり、アメリカの叔父さんでもあるDが、三年前にロンドンへ渡り、そこで小さな家庭を持ち、バンドの一員として日本に来ることを知ったのが、彼が久々によこした一通のメールであったことは、以前に書いたことと思う。(→アメリカの友人 - 双六二等兵)
小雨混じりの木曜日、同じく彼にとっては日本の姪っ子であるTちゃんと共に、そわそわとした心持ちで下北沢へと向った。十年来に会ったDは、私たちの知るよりも、だいぶほっそりとなった体型の他には、何一つ変わって居ないよに見え、すこぶる元気そうで。私たち三人はぎゅっと、強くてあったかい抱擁で再会を確かめる。元気だった?元気だったよ。すごいね、十年ぶりだね。などなど、あれこれと近況を語るにつれ、不思議なことに、もう長い間ずっと会って居なかったよな気が、殆どしないのに気付く。月日の溝は知らぬ間に埋まり、ともすると、はじめから無かったかのよな気すらして。開演まで未だ時間が在るからと、積もる話を斜向いのカフェまで持って行く。奥様との馴れ初め。愛息の誕生。バンド加入の経緯。最近のオースチンのこと。ロンドンでの暮らしぶり。彼は率直な人だから、遠まわしな云い方などせずはっきり、貧乏なんだ。と笑いながら云う。何だそんなこと。私たちだって負けずに貧乏だよ。それに、お金は人生のほんの一部ではあっても、全てじゃないし。大切なことは、もっと他に在るものね。三人して、とりとめの無い貧乏賛歌などして居ると、時間はあっと云う間に過ぎてしまう。
目一杯の人で溢れ返った会場の、人の壁の隙間から辛うじてステージの垣間見える、ぎゅうぎゅう詰めの一番後ろで彼らの演奏を聴きながら、こんな曲が好きだったなぁ、などと己の青春時代を、私は何やら懐かしく思い起こして居た。ライブの後、私たちは電車の都合もあって、そうそう長居もできず、短い再会の終わりを否応無く間近に感じながら、誰もが努めて明るく振舞おうとして居るみたいだった。私があと十五歳も若かったらなぁ、モッシュピットに飛び込むには歳をとり過ぎたなぁ。私はただ、他愛も無い馬鹿気た話で気を紛らわせて居るのだろか。次第に皆、自然と言葉が減る。外まで見送りに出て来てくれた旧友を前に、私は自分自身に苛立って仕方が無かった。この先いつまた会えるか分からぬのに。十年ぶりに会えたのに。だのに今、どうして云うべき言葉が見付からないのだろ。元気でね。あなたと家族が仕合せでありますように。それだけ云うと、言葉は喉に詰まった。Dは再会のときと同じにあったかく、けれども、腕に力を込めて強くぎゅっとしながら、私の背中をゆっくりさすって、ホビとYが今日会いに来てくれたことが、どんなにどんなに嬉しかったことか。こんなに大切な友人を持てたことが、どんなに誇らしいことか。とても言葉では云い尽くせない。有難う。心の底から・・・。うん。うん。ただ頷くことしかできず、突然にぽろぽろと涙がこぼれた。すぐにまた会おう。この人と別れるときに涙がこぼれたのは、きっとこの日が初めてだったよに思う。手を振る旧友もまた、眼鏡の奥で泣いて居た。私たちは皆、充分に歳をとったのかも知れない。
もっと話したいことがいっぱい在った。もっと伝えたいことがいっぱい在った。この十年の間に。色々。言葉も国籍も年齢も性別も異なる人間同士が、こんな風に長い友情を築けると云うことを、分かり合えると云うことを、私がどんなに素晴らしいと感じて居るか。何物にも代え難い、宝もののよに感じて居るか。伝えたかった。伝えたかった・・・。帰り道、小田急に乗っかって暫く揺られて居る内、ある思いがゆっくりと巡ってくる。言葉で伝えられることは、恐らくほんの少しのことだけなのだ、と。そして、言葉で説明せずとも、互いの想いは繋がって居るのだ、と。抱擁のあったかさから、言葉の代わりに、言葉よりもずっと深いものが、じんわりと心に伝わってゆく、あの不思議な感覚。Dに一枚分けてあげた、ジャコメッリの絵葉書。彼はジャコメッリの名を知らなかったけれど、それを見て 「静かな写真だね。」 と云った。嗚呼、そうだ。培ってきたことで共有する感覚は、伝わり、繋がる・・・。恐らくこんな友人には、滅多に巡り会えるものでは無いのだと云うことを、心にしっかり、留め置きながら。

<