双六二等兵

ポッケにさすらい 心に旅を 日々を彷徨う一兵卒の雑記帖

白と黒の詩

|雑記|


先日の上京の折に、写美の『ジャコメッリ展』 へ。
初めて触れる直の感触は意外にもざらりと粗く、
白と黒の境目の輪郭に、配分にじっと目を凝らす。
大地にも人間にも、そして時間にも、深々と
皺が刻まれて、その中に切り取られた一瞬から、
静かに静かに、言葉を持たぬ詩が、心の奥底へと
流れ込んでくる。生命の光を湛えたものも、
死の予感に縁取られたものも、静かに。
そっと静かに。とくとくと。
やがて唯一馴染みの在った、神学生らを撮った連作まで
辿り着くと、その瞬間 「あ。繋がった。」 と想う。
この連作につけられた名前。
「私には自分の顔を愛撫する手がない」。
( Io non ho mani che mi accarezzino il volto )


須賀敦子の友人であり同志であり、詩人でもあった
トゥロルド神父の詩からとられたものだが、須賀も
自身のエッセイの中で、このジャコメッリの写真の刷られた
一枚の絵葉書について触れて居る。今まで、私の周りを
ぼんやりと浮遊する、不確かな手触りでしかなかったものたち。
ジャコメッリ、須賀、トゥロルド神父、私。と云う存在が、
この連作を実際の目の前にして、確かな形の在る点となり、
それが一本の線の上で繋がったのを、はっきりと感じとると、
暫くの間はただ気が遠のいて、その場に立ち尽くして居た。
ひとしきり順繰りに観た後で、近寄ったり離れたりしながら、
も一度じっくり見入って居ると、ここを出たくない。
立ち去り難い。と云う心持ちが、ひたひたと近寄ってくる。
嗚呼。こんな素敵な機会が、また在りますよに。
写真集と絵葉書を買い求めると、ひっそり静かな佇まいを
そっと心に留めたまま、薄暗い会場を後にした。

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