双六二等兵

ポッケにさすらい 心に旅を 日々を彷徨う一兵卒の雑記帖

お年頃

|雑記|


八月も末の頃となって一旦落ち着いたかのよな猛暑であるが、
九月には再び、残暑と名を変えて居座り続けるとのことで、
やれやれ。もう好きになさいよ、と云った感。


そんな中、真夏の疲れなのか何なのか。
原因のよく解らぬ蕁麻疹様の湿疹が掌や手指に出て、
水泡のよな痒みを伴う箇所も在り、煩わしいことこの上ない。
昨年の今頃にも、やはり同じよな症状で皮膚科にかかり、
「汗疱状湿疹」との診断を受けたのだけれど、再びこうして
ほぼ同じ時期に同じ症状であるので、季節柄のものなのか。
昨年はステロイド系軟膏を処方され、気は進まなかったものの、
背に腹は変えられぬと是を塗布。弱めのステロイドではあったが
比較的短期間で湿疹は治まり、以降同様の症状がぶり返すことも無く、
今の今まですっかり忘れて居た。処方の軟膏は慎重に使用したため、
開封のまま使わずに一本残って仕舞ってあったのを幸いと、
ちびちび少量ずつを塗布し、経過と様子を見ながら凌いで居る。
使い終えたら、改めてお医者へかかりに行かねばなるまい。
其処へ加えて、数日前に股関節に違和感を覚えながら、
無理にストレッチしたのがいけなかったのであろう。
何処かの筋を痛めたらしく、暫しお世話にならずに済んで居た
鍼灸院通いも、ここへ来て復活(笑)。全く、弱り目に祟り目である。


私自身に自覚は薄いのだけれど、やはり心身に疲れが蓄積したのか。
億劫からの怠惰が招いた結果か。或いは、その両方かも。
何にせよ、歳を重ねる毎に様々の機能が弱ってきたのだなぁ。
もっとしっかり身を入れて体を整え、養生を心得ねばならぬなぁ。
多少の無茶だとか楽して云々は、もう通用せぬお年頃なのである。

若者たち

|雑記|


やれやれ。長くてしんどかった盆休みがようやっと終わり、
心身共にふうっと力が抜けて、久々の涼やかな空気に安堵する。
連休の始まる前と中程だったろか。夏休みと云うこともあり、
昔から知る知人のお宅の娘さんや息子さんたちが、
奇遇にも立て続けに訪れて、数年ぶりに顔を見せてくれた。
つい数年前まで高校生だった少女が、あっという間に大学を出て、
教員として中学校で教鞭をとって居る。また別の子は、あらまぁ。
きりりとしたパン職人となって、毎日実直にパンを焼いて居る。
実に十年ぶりで訪ねてくれた子は、最後の記憶が小学五年生。
それが今や誰だか分らぬ程に大きくなって(笑)、大人びた顔つきで、
実に名門高専校の最終学年だと云うのだからなぁ。


彼らは、子供の頃に親御さんやお爺様ら大人に連れられて、
この店で過ごした時間のことを、ちゃあんと覚えて居てくれる。
大きくなってからも節目節目に来店して、近況報告してくれたり、
大学以来住まいが遠方になってからは、帰省の際に訪ねてくれたり。
成長過程を知る度合いは異なれど、どの子も本当に立派になって、
地に足の着いた、自分の人生をしっかりと歩んで居るんだなぁ。
そんな皆を前にして、何だか、ホビ小母ちゃんは感慨深くて、
自分に子供は居ないけれど、実に誇らしい心持ちになったよ。
片や我が身の同じ年頃を振り返れば、毎日ちゃらんぽらんでお気楽で、
彼らの姿の幾分にも及ばぬ、全くの体たらくであったことか。
それがそのまま大人になり「あんな大人になってはいけないよ」
の見本のよな、こんな大人になってしまった訳で、全くもって、
あと数年もすれば知命と云うのに、楽々高座椅子に寝転がって
あずきバー齧り齧り、銀魂など読んで居る場合ではない。
まぁ尤も、今更どうにかしてどにかうなるのでも無いけれど。


店の前の駐車場で、飛べるよになったばかりの縄跳びを披露してくれた子。
幼い弟に髪が束に抜ける程引っ張られても、お姉ちゃんだからと我慢して居た子。
両親の不仲が原因で姿を消した飼い猫の話をしながら、目に大粒の涙を浮かべて居た子。
折に触れて成長を見てきた子供たちが、すっかり頼もしい立派な若者になった。

真夏の由無し事

|戯言|


読んだ本のことや、心へ留めた出来事や。
久しぶりに書きたいことが色々と湧き上がってきて、
よし。ひとつずつ書き始めましょう、と思って居たところ、
そのままあれよあれよと、怒涛の盆休み週間へと突入し、
こうして毎日毎日、阿呆みたいな忙しさに転がされて居る。
嗚呼、こんな気狂い沙汰!
と、白目をむきながら悪態をつきたくともつけぬのには、
実のところ、やんごとなき理由が在り、それと云うのも
今年の七月の売り上げが、実に開店以来前代未聞の
全く恐ろしい数字だったもので、どんな阿呆みたいな忙しさだろうと、
どんなに気狂い沙汰だろうと、七月の分を取り戻さねばならぬ訳で、
それはもう、よれて草臥れた亡者のよになりながらも、
「七月の分、七月の分…」と呪文の如く心の中で繰り返し、
次から次へと仕事をさばき、ただ黙々と堪えるのみ、なのである。


否。ちいと云い過ぎたかな。
勿論、そんな怒涛の濁流の中にも、穏やかで素敵な出来事は在る。
だから一日を仕舞いながら、心善き人たちとの出来事を思い出し、
あと〇日じゃ。がんばるのじゃ。
と、自らを励ますことができるのである。


しかし、つくづく思う。
”喫茶店を日常使いする”と云う習慣の無い人たちってのは、
こう云う小さな我々のよな個人の店であっても、
ううむ、何だろなぁ。
休日のレジャー感覚でしか考えられない、と云うのがねぇ…。*1
いやはや、甚だ信じ難いことである。
くわばらくわばら…。

*1:つまり、出先のファミレスやサービスエリアなどと同列なのだろねぇ(笑)。

<