双六二等兵

ポッケにさすらい 心に旅を 日々を彷徨う一兵卒の雑記帖

あの頃

|縷々| |回想|


エリザベス女王崩御以降、若い頃に渡英した際のあれこれを、日々思い出して居る。
否、正確には自らの意思とは関係なく、ぶわーっと記憶が蘇ってくる感じだ。90年代に三回、イギリスとスコットランドを旅した。何れもロンドンを拠点とした滞在で、バッキンガム宮殿の辺りも頻繁に歩いて居た気がする。女王に対しての個人的な想いどうのこうのと云うよりかは、自分にとって最もエネルギーに溢れ、興味の趣くままに歩き回り、吸収し、かけがえのない経験を積んだ時代に、間違い無くその大きな原動力であった英国に在り、そしてそこには常に女王が居たのだよなぁ、と云うことへの感傷なのだと思う。

ロンドンでは地下鉄やバスを乗り継いで、行きたいところへ行った。レコード屋や古着市をめぐって、脚が棒になるまで街をほっつき歩いた。ときにはやって来たバスにひょいっと飛び乗って終点まで行ってみた。そうやって降り立った街は知らない街で、知らない街の小さなレコード屋で7インチを買い、通り向かいの喫茶店ホットチョコレートを飲んだ。宿に居たイタリア人たちと仲良くなって、別れるときはとても寂しくて泣いた。夏にはレディングにも行った。ロンドンだけじゃない。スコットランドにも思い出が沢山在る。とめどなく溢れるよに出て来て、いくらでも思い返せるのだ。

「改めて思うんだぁ。あのとき誘ってくれて、本当に有難うね」二回目のときの同行者だったAちゃんが、しみじみとした口調でそう云った。そうだねぇ。”あのとき””あの時代”に行ったから出会えたことの全てが、まさしく今の自分たちを作って居て、そして当たり前だけれど、それはもう二度と経験できないのだねぇ。
どうだろう。恐らくは、もう英国を旅することは無いかも知れないけれど、もし仮に再度訪れることが叶ったとしたら。そのとき私は、ロンドンの変容を目の当たりにして、流れた月日の長さを実感するのであろう。そして又、かつての面影の残る、或いは当時と変わらぬままの風景や街角の佇まいを不意に見付けては、言葉にできぬ思いにそっと胸を熱くするのであろう、とも思う。

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