双六二等兵

ポッケにさすらい 心に旅を 日々を彷徨う一兵卒の雑記帖

十個の領収印

|太極拳|

稽古前。返って来た月謝袋の領収印を、
ふと数えてみたら、一、二、三、四......十個。
嗚呼。習い始めて、もう十ヶ月目に入ったのか...。
ついこないだのよな気がするが、早いものだなぁ。
何とか荒砥段階の二十四式を終えた今は、
Yさんと先生の両方から、中砥段階の指導を
きめ細かく受けて居るところなのだが、
その中で、特に自分の苦手とする套路動作が、
いよいよはっきりと分かってきた。

  • 攬雀尾(ランチュウウェイ)
  • 雲手(ユンショウ)
  • 穿梭(チュアンソウ)

この三つである。
その他にも、白鶴亮翅(バイフーリャンチー)や高探馬(ガオタンマー)などに共通の、虚歩で後足を半歩だけ前へ出す際の足の位置が、内側へ寄りがちな癖も在る。それらの細部を厳しく正されながら、幾度も幾度も繰り返し体に叩き込むと、今度は又別の動きを厳しく正される。常に課題が生じる。「目の前に、攻撃してくる相手を思い浮かべなさい。相手の居ない動きと相手の居る動きとでは、中身が全く違って来るのです。分かりますか?」そうだ、太極拳は武術。盆踊りじゃないのだ。
集中した個人指導の後、ようやっと休憩となったところで、先生が仰った。「厳しいですか?でもね、それは当たり前でね。何故なら今、僕がホビ野さんへの指導の中で要求して居ることと云うのは、実は上級者の生徒への要求と全く同じ内容なんです。敢えてそうするのは、ホビ野さんなら出来る、と思うからです(笑)」うわわわ...。どうりで厳しい筈である。しかしながら、厳しい指導は全く苦では無い。むしろ、たとい徐々にではあっても、又時折後退しても、根気強く稽古を続けるうちに、出来ぬことが必ず出来るよになってゆく。それを己の体で理解し、直に感じられることが、学びとることが、単純に愉しいのだ。だから、受けた指導を家まで持って帰って、次の稽古まで毎日繰り返す。その継続の中に、発見も在る。

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