双六二等兵

ポッケにさすらい 心に旅を 日々を彷徨う一兵卒の雑記帖

リア充様お断り

|戯言|


怒涛のお盆週間が嵐のよに過ぎ去った後の残骸を前に、只々消耗し切って、半ば阿呆のよな顔で放心して居る。嗚呼、長丁場だった...。
当店は、イーニドちゃんやナード君をはじめ、おたくカップル(或いは夫婦)や、仕事に疲れたお一人様社会人戦士、ママ友の徒党へ加わらぬハードボイルドな主婦の皆様など。日常で世間のリア充な人々とリア充的価値観に囲まれ、うんざりして疲れ果てた、所謂世間が”非モテ”と呼ぶ世界に住まう人々のための、ささやかな憩いの隠れ家であるので、他に幾らでも選択肢の在るリア充の皆様には、くれぐれも来店を遠慮して頂きたい!と切に願って止まない。何しろ店主自らが非モテの住人なのであるからして、当店は紛うこと無く”非モテによる非モテのための店”なのであるが、やれ連休だと云うと、食べ○グだか何だか、そんなものばかりを見て出掛けて来るよな”リア充”の方々が大量に紛れ込むので、いやはや。何とも調子が狂ってしまって、困る。



近くの卓に独り読書をする人が在ろうが、大島弓子を静かに語らう人が在ろうが、全く気にも留めず、耳から入って脳に機能障害をもたらしそうな話ばかりを、居酒屋のテンションでもって、キャアキャアだらだら延々と垂れ流すものだから、先に述べたよな当店の構成員の皆様には堪らないのである。そもそもが、店の何処をどう探したところでリア充的なものなど何一つ見当たらぬであろうにも拘わらず、何故彼らはこうした他の種族(笑)の領域へも、臆面無く出没するのだろか...。と、評論家の岡田斗司夫氏による”リア充”と”非モテ”についての、実に分かりやすい考察をを見付けた。単なるニュアンスとして使われて居たものを、実に腑に落ちる形で定義づけてくれて居る。成る程、リア充世界の基本構造は”モテる女子的メンタリティ”なのかぁ、などなど。


【AKB襲撃事件】Youtubeとニコ動で"リア充"と"非モテ"の定義を考える

リアルが充実して居ないリア充も在るし、非モテにもモテる人が在る、と氏も云って居るが、つまり”リア充”も”非モテ”も、決してそのままの言葉通りを意味するものでは無く、その人の属性や文化背景みたいなものを指した一種の”記号”と云うのか、その世界の価値観や在り様が、其処に表れて居るのかな、と。面白いことに、我々は自らを”非モテ”と認識して居るが、どうやら彼らは自らを、別段”リア充”とは認識して居ない風である。そして恐らく、リア充には非モテの感じるものが”分からない(見えない)”のだ、とも想う。或いは”鈍感”と云い替えても良いのかも知れない。我々がリア充的な物事に接した際、反射的に「私にはその資格が在るのだろか?」だとか「それは自分の領分ではない」などと考えてしまうのに対し、世の中の愉しい物事は自分たちに向けられて居る、と前提無しに信じられる彼らには、我々のよな構えや疑念など端から持つ必要が無い訳で、事実、世の中全体が、世の中の主流なコンテンツ諸々が、彼らのよな人々に向かって居るのだから、いちいち考えたりしないし、そうでない人々の領域に鈍感なのも、何と無く頷ける。
しかしながら、フェイスブックも使わない。スキニーパンツも履かないし、肩からちっこいカーディガンも掛けない。エ○○○ルも聴かなければ、合コンへも、ネズミ王国へも、ビーチリゾートへも行かない。そんな世界に住む小さき人々のささやかな領域にだけは、どうか土足でズカズカと立ち入らないでくれ。
リア充様の入店を謹んでお断り申し上げます』 そう書けるものならば、是非とも書きたいものである...。

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