双六二等兵

ポッケにさすらい 心に旅を 日々を彷徨う一兵卒の雑記帖

I’m just a little person

|映画|


脳内ニューヨーク [DVD]

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マルコヴィッチの穴 [DVD]

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C・カウフマンの物語は観終わって暫く経っても、ずっと体から抜けない。
抜けないで、そのまま棲みついてしまう。棲みついて、やがて体の一部となって、ふとした折に、自分が彼の物語の中に居たことを、想い出す。彼の描く人間のひとりひとりは、愚かで、醜くて、滑稽で、哀れで、孤独で、哀しくて、みっともなくて、小さい。そう、他ならぬ私たち自身が其処に居る。私はきっとクレイグで、きっとケイデンなのだと知らされる。もがけばもがく程、色んなもので雁字搦めになって、八方塞がりになって。ようやく出られたと思ったら、いつまでも同じところを堂々巡りで。仮に何かの才能なんてものが在ったとしても、そんなものは無責任な他人の評価次第で、どうにでもなってしまう。或る日、何かが劇的に変わるなんてことも無い。惨めさを噛み締めては飲み込み、色んなものを諦めて、気の遠くなるくらい日々を繰り返して居る。そう、彼らと同じよに。そうやって転がって転がって、行き詰って。やがて引き出された物語の結末が、ともするとひどく絶望的で、ひどく遣り切れなかったとして。それだのに決して残酷とならないのは、もしかすると白昼夢か、或いは、自分か誰かさんの妄想の中の出来事なのだ、と思わせてくれるだけのささやかな余地を残してくれて居るからで、それがこの人のやさしさ、この人の眼差しなのかも知れない。
観終えた後、体の芯が抜けてしまったみたいに、哀しくて切なくて遣る瀬無い心持ちになって。痛みはずっと残る。けれど一方で、それとは対極に在る筈の何か、あったかなものが残るのは、何故なのだろ。抱えた絶望のずっとずっと先に、針の穴程の小さな光の点が見える気がするのは。私がカウフマンを好きなのは、恐らくそれなのだと思う。惨めでちっぽけで、どうしようも無かったとしても、それが我々の姿であり、それでも生きて居て良いのだ、と。或いは、それでも生きねばならぬのだ、と。肯定と苦さとを一緒に抱えながら生きる。矛盾だらけの私たち。「人間は醜い。されど人生は美しい」 そう云ったのは、ロートレックだったろか。人間は愚かでも、其々の軌跡である其々の人生の欠片の集まりは、不思議といとおしく、きらきらと。そして、涙が出るくらい美しいのだ。きっと。




Jon Brion-Little Person



Somewhere maybe someday
Maybe somewhere far away
I'll find a second little person
Who will look at me and say.......

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