双六二等兵

ポッケにさすらい 心に旅を 日々を彷徨う一兵卒の雑記帖

始末良き暮らし考:追記

|暮らし| |モノ|


ところで、私の住いと云うのは仕事場と接して居る。元々がかなり古かった為、店舗部分には大きく手を加えたが、住いとして居る部分は、壁面にコンパネを打ちつけた程度で、ほぼそのまま。それに風呂とトイレは在っても*1、煮炊きの在り処である台所を設えて居ない様が、何処か ”生活” の佇まいに欠ける所為か。今もって、どうも ”仮暮らし” と云う構えが抜け切らない。また、一部の家財を除けば、その辺に在ったのや、貰ったので当面を済ませて居るところも多く、それも生活の佇まいに欠ける所以なのかも知れないが、是は心に一つの守り事を持ち、其処へ従うことによる。つまり、必要に迫られても、心底気に入った品が見付からなければ、見付かるまで身近に在るものでしのぎ、わざわざ間に合わせの品を買い求めることはしない。(或いは、無ければ無いなりに、どうにかなるものだ。)何しろ、愛着の湧かぬモノを身近に置くと云うのは、心貧しく耐え難い。一方で、本来台所となるべきスペエスには、父方の故祖父母が暮らした家より持ち帰った、古箪笥や机などが幾つか置いてあり、ここは半ば倉庫のよな役割となって居る。やがて終の棲家となるよな場所の整ったときに、この古家具たちが在るべき場所に、在るべき姿で収まるよに、と考えてのことであり、食器や鍋釜の類も然りで、その内の一つに仕舞ってある。
過去に引越しは四回。その度にモノの整理はしてきた筈だが、一所に腰据えて暮らすごとにモノは増え、また増える傍らで、手付かずに置かれるモノも在る。所謂 ”想い出の品” と云うのがそれかと想う。写真だの旅先で集めた品々だの、まあ端から見ればガラクタの類で、是が実に厄介だ。引越しの度に持ち込まれては、手を付ける事無く、そのまま押入れ深くに仕舞い込まれる。まして、しょっちゅう目にするものではないから、整理して良いかどうかの判別も曖昧なままであり、たまに気になって思案するも、いつでも出来るのだからと考えて、結局はそのままとなる。是ではいつまで経っても始末に縁遠く、堂々巡りを繰り返すばかりなのだ。
さて本日。仕事を仕舞って帰り、風呂を沸かす間に一服と人心地ついて居ると、ちらりちらり。昨日書いた始末のことが脳裏を過る。さて、思い立ったが吉日か。ならばと早速に、二つ在る押入れの片方を、大雑把に整理することとした。風呂は後回し。先ずは手前の部屋着から取り掛かる。元々は普段着であったTシャツなどが、草臥れて格下げとなったものなのだが、着る頻度の高い二・三を残して処分。その下のシーツ・カバー類も、薄手厚手共に二組程を残して処分し、枕のカバーは多めに残す。その奥のバッグ類は、以前処分を保留しておいたのと、取っておくのとに分けてあったので、保留分を確認し、やはり必要無いと判断して処分。なかなか潔く順調に作業は進むが、さて。ここからが大変だ。いよいよ、例の想い出の品である。ライブのチケットやら、ごっそりの写真、手紙の束、旅先の記録としての紙モノなどなどが、幾つかの段ボールの中へ積め込まれて居る。先ずは、其々の種類ごとに分けてから、残すものと処分するものとを分けてゆく。残すものについては、其々をジッパー付きの保存袋に入れ直し、「ネガ」「旅の紙モノ」「チケット」 と云った具合にマーカーで大きく書き込む。更に細かい仕分けは時間の在るときにするとしても、今回の整理で実に七割程が処分の対象となり、如何にほったらかしであったかが知れた次第。(ただし、手紙に関してだけは殆どを残した。)
さて。押入れの中を雑巾で一拭きした後、残したものを再び戻すと、余分の出来ただけ実に風通しの良い風に見える。成る程。モノに向き合うと云うことは、即ち己と向き合うことでもあり、そうして始末をして身軽になれば、ついでに心の澱やら埃やらも払われて、さっぱりとして清々しいものだ。しかし折角片付いて空いた所が、すぐに埋まってしまう事の無いよに、モノとの付き合い方については、自分なりのルールを拵えるのが懸命かと想う。例えば、制限や条件を決めることは大切かも知れぬ。シャツであれば、抽斗一段に入るだけ。買い足すときは、何れかを処分したとき、と云うのが望ましいが、たまに目を瞑るのを良しとしたい。また、普段目に付かぬよな所へ仕舞ってあるモノは、定期的に内容を把握し直すのも良い。そしてくれぐれも、ストイックが過ぎてはいけない。人生のために 「ささやかな無駄」 は残しておきたい。是が無かったなら恐らく、人は人らしく暮らしてゆかれないであろうし、趣味嗜好の領域にあんまり厳しい制限を設けてしまうと、ぎすぎすと潤いに欠け、面白味を失う気がするのだが。たといこの手のモノが多くとも、整頓がなされた所へ仕舞われ、掃除が行き届いてさえ居れば、たいして問題にはなるまい。
ちなみに今回の始末。趣味に収集したモノに関しては、整頓・保管・把握が或る程度出来て居る (と想う) ため見送り。また音楽・本・映画は、そもそもが始末云々の対象外にある (と想う)。勿論、是は云い訳などでは無い (と想う)。

*1:年季の入ったバランス釜と和式(笑)。

<