双六二等兵

ポッケにさすらい 心に旅を 日々を彷徨う一兵卒の雑記帖

先生と怖いお話

|小僧先生| |本|


The Gashlycrumb Tinies

The Gashlycrumb Tinies

  • 作者:Gorey, Edward
  • 発売日: 1997/10/01
  • メディア: ハードカバー


先月のと或る日。不意にお泊りにいらした先生が、扉付きの本棚に立て掛けてあった、一冊の小さな絵本へ目を留めた。エドワード・ゴーリーによる、大人のためのダークな寓話 『The Gashlycrumb Tinies Or, After the Outing』 である。絵本と云ったって何しろ、「A is for AMY who fell down the stairs」 と云った具合に、名前のアルファベット順に子供たちが死んでゆくお話で、其々の子供の死の理由が、例の美しくも不安を誘う陰鬱な線画で描かれて居るのだから、どうしたって先生には、見せられたものじゃあない。しかし当の先生が、言葉少なにじいと見入っては、神妙な面持ちで頁をめくって居るので、やれ困ったなぁ、と金田一君宜しく頭を掻きながらも、暫し様子を見守ることとした訳だ。
「君。この子供は具合でも悪いかね?」
げっそりとした影だらけの少女を指して、先生が訊く。
「ええと是はですね、コドモ幽霊のおはなしなんですよ。」
その場は口から出任せで誤魔化したものの、朝風呂でも如何ですか?と鉾先を変え、まんまと乗っかった先生が脱衣してらっしゃる隙に、こっそり。私は本の背表紙をあちら側へ向け、更に先生の目に付かぬ奥の方へ、それを仕舞ったのであった。
そして先日のことだ。幼稚園の夏休みを早くも持て余した、と思しき先生が遊びにいらっしゃり、以前に話し聞かせた藤城清治の影絵映画 『泣いた赤鬼』 を、是非とも観賞なさりたいと仰るので、その様に整えて差し上げ、先生がテレビを観ながら、ご機嫌にソファへ寝転んで居る様を確認した私は、ちょっと下へ行って来ますね、とその場を離れた。数分程して部屋へ戻ったところ、何と先生、例の絵本を引っ張り出して読んで居るではないか!こいつはちいと厄介である。わざわざ見付かり難い所へ隠して仕舞った筈だのに、どうして探し出したものやら…。ほらほら先生、赤鬼が自分で拵えた立て札を壊してしまいましたヨ。などと話を逸らしてすっと本を抜き取ると、先生は何事も無かったかのよに、再び影絵映画に戻って居た。
さて。単純に、絵柄の印象から受ける怖いもの見たさか。或いは、無自覚ながら、何か惹かれるもの在ってのことか。思えば、マザーグースや通りゃんせなど、子供の親しむ童歌の中にも、実は恐ろしい意味の含み隠されて居るものが、少なくない。後に大人となってから、そうか。あれは本当は怖いものだったのだな、と云うことが理解できる訳だけれども、幼かった頃には、果たしてどうであったのか?と云えば、何と無くではあっても、薄々感づいて居たよな気がしまいか。
子供にとって、死は未だ恐ろしいものではない。自分の生きる世界との境界はきっと曖昧で、そもそも生死の概念についても、全く無自覚の筈である。大人には見えぬものを見、見えぬものと話す子も在り、段々と成長するに従って、人間として未完成であるが故に持ち得た感覚も、自分がそれを持って居たことも、やがて忘れてゆくのではなかろか。
ともあれあの絵本は、先生にゃ未だ未だずうっと早かろう。いずれ充分に物心ついてから、ふと想い出したとすれば、それは又そのときとしても、ここは一旦、やんわり忘れさせてやるのが、不出来なりとも伯母の務めか、などと想うのであった。いやはや、実に難しいものであるなぁ…。

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