双六二等兵

ポッケにさすらい 心に旅を 日々を彷徨う一兵卒の雑記帖

御馳走考

|雑記|


唐突ではあるが、私にとっての 「御馳走」 とは
即ち 「鰻」 である。何故こんな話をするのかと
云えば、本日いらした知人女性が、ここ暫くの間、
どうも体調が芳しくないとかで、帰り際口にした
「何か御馳走、おいしいもの食べたいわぁ。」
の一言が発端となってのことであるのだけれども、
そもそも、人がこうしたときに食べたいと考える
「御馳走」 「おいしいもの」 と云うのは、果たして
如何なるものを指すのであろう、との疑問が
うすらぼんやりと沸き起こったからに他ならない。
例えば我が母にとって、それは常に 「鮨」 を指し、
或る人は只 「肉」 と云う、漠然とした答えをもって
表わすのかも知れない。勿論、それは人によりけり
であるから、様々の答えが在って然るべきではある。
しかしながら、御馳走と云う言葉を聞いたときに
各々の浮かべる、何かしらのイメエジのよなものが
在るとするならば、それは恐らく。平素普段は滅多に
口へ入らない類のものであるに相違無く、*1そしてまた
其処にこそ、その人の抱く 「御馳走観」 が表れて居る
とは云えまいか…などと、暇にかまけて我が身へ
問うたところが 「鰻」 であった訳だが、Aちゃんに
そう答えると、案の定、何故かとの理由を尋ねられた。
はて。どうして鰻なのか?是に関しては、やはり或る
一つのイメエジから来る思考が存在して居る。つまり。
鰻と云うのは、何処かの金持ちの隠居爺さん*2が、猫
なんぞを膝に、年季の入った白い顎鬚をさすりながら
「今日は鰻でも食いたいのぅ。」 と気紛れに呟くもので、
その口ぶりと云うのがまた、実に旨い鰻を知って居る
口ぶりなのだ。そうすると、それを聞いた女中が、
慣れた風に鰻屋へ電話して、やがて小一時間もした頃、
上等の塗りの二段重に入った鰻と、肝吸とが届けられる。
とまあ、そんなものが概ね私の考える御馳走なのだが、
Aちゃんに鼻先で笑って指摘されるまでも無く、我ながら
是また随分と貧乏地味た発想、とは想う。想うけれども、
そもそもが貧乏性なのだから、仕方が無いじゃないか。


ちなみに鰻は、あんまり甘過ぎるとげんなりする。
さらりとして、醤油の辛口の立ったのが好みである。

*1:家で振舞われる ”ハレの日の御馳走” は、是とはまた別のお話。

*2:脳内のこの爺さん像と云うのは、何故だかいつも鈴木清順である。

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