双六二等兵

ポッケにさすらい 心に旅を 日々を彷徨う一兵卒の雑記帖

芽吹きどき事件簿:前半戦

|雑記|


芽吹きどき、である。木々が草花が、一斉に芽吹く爽やかなこの季節。ついでに所謂 ”ちょっとアレ” な人々もまた、むくむくとするので、全く困ったものなのである。と、そんな本日の事件簿は長くなるので、畳みますヨ!


そもそもの事の発端は、こう。数ヶ月前のと或る日、その小母ちゃんは店に現れた。それ以前にも幾度か近辺で見掛けたことから察するに、住いはこの界隈であるらしい。歳の頃、五十代後半。或いは六十か。身なり、決してだらしないと云うのでは無いのだが、何だかみすぼらしく、散髪屋とは縁のなさそな白髪混じりの髪を、首の後ろで一本に束ね、皺っぽい顔に殆ど化粧は無い。初見であるのに、妙に馴れ馴れしく、話が誇張気味なところや、物云いの端々から何処か、自らのみすぼらしさを取り繕って居るよなところが、ちらちら見え隠れすることもあり、どうもこの人はちょっとアレな人だな、と直感で感じた。この日は、小母ちゃんに呼び出された女性が同伴であったが、只一人終始安価なセットメニュー云々へ執拗に拘り、結局挙句の果てには、飲食の代金をその女性に払わせて帰っていった。詳細は省くが、どうやら筋金入りのケチであることも分かった。
再び現れたのは、それから暫く経ってのこと。今日はお客で来たのじゃない、と入って来るなり前置きしたかと想えば、何やら草臥れた紙袋から、自ら拵えたと云う端切れの布小物 (主に人形のよな物) などを取り出して、「是、素敵でしょ〜。ね、そう想うわよねぇ?」 と、端から一方的。正直、それを何と形容したものだか。本人同様、何か不穏な波動がモヤ〜っと出て居る気がして、触れることを躊躇われる、と云えば分かって頂けるだろか。その上、遠回しに 「ここで売って欲しい」 と云うよなニュアンスで話を向けてくる。面倒はまっぴら御免なので、こう云う時の常套句である 「大変申し訳ありませんが、オーナーが不在なのでお答えできません。」 で対処したところ、その日は諦めて帰って行った。それからまた数日後に再び現れ、再び同じ話を一方的に繰り返す小母ちゃん。前回の常套句に加え、その日は 「持ち込みや委託の品物は扱わない方針なので、申し訳ございませんが、折角来て頂いてもご期待に添えません。」 と、やんわりお断りしたのだが、奴さん、どうも納得して居ない様子であった。それから暫くは、ずっと姿を見せなかったものだから、どうやら諦めたかなと想いつつも、でもなぁ、芽吹きどきだからなぁ、などと訝しがって居た矢先に、本日の事件が起こったのである。
午後も三時の終わりかけた頃。雨の中をこちらに向かって来る、若干見知った姿…。ややっ!例の小母ちゃんだヨ!!入って来た小母ちゃんの目は、不自然に宙を泳いで居り、何やら落ち着かぬ様子。怪しい。こちらが声を掛けるより先に、さっさと自分で客席に向かってゆく。益々怪しい。是は何か魂胆が在るやも知れぬ。私は何か良からぬ波動を感じ、充分過ぎる程の細心の注意を払いながら、是へあたることとしたのであった。何しろあのドケチが一切の躊躇も無く、食事と珈琲とを別々に注文するのである。怪し過ぎる。また食事の最中も、不敵な一方で、どうも落ち着きが無い様子なのも、ふつふつと不安いや増す。其処へAちゃんが休憩を終えて戻って来たので、斯々然々その旨を伝え、充分に気をつけようぜ、と打ち合わせる。その後でもう一組居たお客が帰ったところで、卓を片付けに行ったAちゃんが、やや暫く戻って来ない。うわぁ、何か云われて居るぞ〜。引き攣った顔して戻って来たので、慌てて話を聞けば、こうである。
Aちゃんが卓を片付けて居ると、小母ちゃんが後方から、そそそ〜っと近付いて来て 「さっきまでお客さんが居たから騒がないで居たけど、お宅のご飯の中に虫が入って居たの。是って、保健所に知れたらどうなるかしらね。保健所が知ったら、物凄い大ごとになるわよねぇ〜。」 それを口にする小母ちゃんの眼光は、まるで水を得た魚のよに、きらりんと光って居たらしい。特に ”保健所” と口にしたときの目付きには、人に悪しきダメージを与える効果が存分に在って、想わず背筋がぞっとしたと云う。Aちゃんの下げ帰った皿を確認すると、三割程残されたご飯の上に、米粒と同等程の大きさの、何か黒いものが乗っかって居る。「何じゃこりゃ?」 つぶさに見てみると、どうやらそれは ”蟻” であった。しかもかぴかぴに干からびて、ご丁寧に指先で小さく丸められたと思しき形状である。先ずそもそもが、作業の動線や調理の過程において蟻の混入する状況が在り得ぬし、相手が相手だけにそんなことも在ろうかと、こちらは細心の注意を払った上で皿を出して居る。何せこう云う手合いには、ほんの僅かの玉葱の焦げであっても、充分な難癖の対象となり得るのは、想像に難くあるまいて。そう、是は所謂、悪質卑劣な 「嫌がらせ」。小母ちゃん自作自演の大芝居である。私が卓に何やかやと運んで行く度、いちいち挙動不審だったのも、どうりで納得である。
再び二人して様子を見にゆくと、ちらり横目で我々を確認した小母ちゃん、何を想ったか卓へ突っ伏して、大変に気分が悪いと訴える。「虫が入って居たと考えただけで、ものすごく具合が悪くなったわ〜。あ〜、気分が悪い。何も口に入れられないわぁ。」そう云いつつも、珈琲はしっかり飲んで居るのが不思議なのだが、早速先手を打ち 「御代は結構ですので…。」 と告げるや、おばちゃんの目がきらりん。更に 「ご気分がすぐれないのなら、気分の落ち着くお茶を淹れて差し上げましょう。」 と持って云ったお茶も、ごくごくとお召し上がりに。いやはや図太い。ところが、今度は病院へ行くと云い出し始めて、しかしながら、なかなか帰ろうとしないのだ。まるで何かを待って居る風。どうやら飲食代を全てタダとした上、更に慰謝料と称して、我々の貴重な売上の一部を不当にふんだくる魂胆らしい。となればいよいよ、こちらで大袈裟に騒いでしまうことにする。「それは大変!すぐにタクシーを呼びましょう。かかりつけはどちらの病院ですか?」 さすがに是は想定外だったと見え、一瞬怯むも、再び不敵な顔つきとなり、ええ、でも大丈夫ですから、を繰り返す。「いえいえ、お顔の色が青いですし、私どもと致しましても、粗相の在った上に、ご気分のすぐれないお客様を歩かせる訳には参りません。」 タクシーを呼ぶ、呼ばないで、数分間の押し問答が続いた後、小母ちゃんは目を泳がせながら、娘が家に居るから歩いて帰る。帰って娘に病院まで送って貰う、と云い出した。「それなら娘さんに電話をして迎えに来て貰ったら如何ですか?私も電話で娘さんに事情を説明致しますから。」 ”気分が悪い” と ”大丈夫” を執拗に繰り返す小母ちゃんは、ところがいつまでたっても、娘とやらへ電話する素振りを見せないのだ。持って居ると云った携帯電話も、その数分後には、忘れてきた、持って居ない、と云い出す始末。もう埒が明かぬので、こちらでタクシーを呼んで来ますね、と電話機を取りに向かうと、小母ちゃんは渋々ながら帰り支度を始め、我々の制止を他所に強引にドアへと向かう。
「先程、かかりつけはU医院、と仰いましたよね。実は、あそこの先生は昔から良く存知上げて居りますので、こちらから電話して事情を詳しく説明すれば、すぐに診て頂けると想います。今連絡しますから、中で座ってお待ち下さい。」 勿論、口から出任せであるが、どうやら効いたらしい。小母ちゃん言葉を失い、目が点になってしまって居る。「も、も、もう本当に、だ、だ、大丈夫ですから。あ、歩いて帰れますから。」 と、しどろもどろ。ここでAちゃんが更なる機転を利かせた。何事も先手必勝。こちらが如何にして、相手より優位に立つかが肝心なのだ。「途中で何か在っては大変です。私がお宅までご一緒します!!」 さあさあ、と小母ちゃんの腕を取り、Aちゃん、ちらりとこちらに目配せ。実は丁度、事の起こって居る最中に、同業者のT君が組合の書類を届けに来て居たのだけれど、二人してじりじりと彼女の帰りを待つ。が、半時以上経っても未だ戻らない。さすがにT君が、長過ぎる。もしや何か在ったのでは…と表を窺った、まさにその時。雨の中を一目散に走って戻って来る、Aちゃんの姿が!


後半戦へと続く(笑)。

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