双六二等兵

ポッケにさすらい 心に旅を 日々を彷徨う一兵卒の雑記帖

ダッフルコートと魔法瓶

|モノ|


先日、実家へ立ち寄った折、母よりコートを一着渡された。いつだか母に貸した後、クリーニングへ出してから、そのまま母の箪笥へ紛れ込んで、ずっと仕舞われて居たのらしい。どうりでこちらの箪笥を幾ら探したところで、ちいとも見当たらなかった訳である。
茶色いロング丈の。ウールのダッフルコート。確か、未だ大学へ通って居た頃に買い求めた品であるから、ざっと見積もって十五年は経って居るだろか。想えば当時の私なりに考えて、いつまでも長く着られる良いものを。納得のゆくものを、じっくり探したいと心にあたためて居たのだったが、或る冬の日。たまたま出掛けた先で、是ならば、と想える品をようやっと見付けた。百貨店のトラッドな洋品店だった。お店の人に取り置いて貰ったのを、アルバイトしてこつこつ貯めたお金を持って、どきどきしながら買い求めたの、今でも良く憶えて居る。
そう云えば、近頃見掛けるコートの類が、どれも皆丈の短めなのは流行であろうか。在ってせいぜい腿の半ば程。あれはコートと云うよか、むしろジャケットと云った風で、冬を任せるには随分と頼り無い気がするし、何しろ、たっぷり膝まで隠れるロング丈を先ず見掛けないのは、実に残念なことである。コートはやっぱり長いのを、ぶかっとさせて着るのが好きだ。
さて、このコート。M寸なのだけれど、上背の無い小柄な私にはそれでも丈が長く、歩く度、不恰好に踝の辺りでもたつくのが、ずっと気になって居たので、この際だから丈詰めをして貰おうと考え、いつもお願いして居る方の所へ、直しに出した。早々きれいに仕上がって戻ってきたコートを羽織ると、十センチ程短くして貰ったおかげで、裾捌き、見目共々、実に塩梅が宜しい。堪らずポッケへ手を突っ込んで、一人猫背でにやにやする。だって、ほら。何かに似て居やしないかい?そう。”くまのパディントン”! そもそもが、どうしてダッフルコートであったのか。パディントンの着て居るのが、そうだったから。と云うのは余談だろか。色こそ茶色だけれども、あのダッフルコートの、如何にもぬくぬくとして、如何にも丈夫そうな、そして何より。何処かしら微笑ましくも野暮ったい佇まいが好きなのだ、と想う。
それに。マーマレードを塗ったパンも、大好きだしね。



編み物をして居ると、途中でお茶を飲みたくなっても、手を休めるのが憚られることがある。横着して書き付けておかないと、お茶を淹れて居る間に、案の定、段数などを忘れてしまうこともあるし、編み始めて気が乗ってくると、いちいちその場を立ち離れて台所へ移るのが、些か面倒なこともある。そこで魔法瓶へたっぷりのお茶を拵えておいて、是を編み物の傍らへ、カップと一緒に置いておくことを想い付いた。是なら、いつでも好きなときにすぐお茶が飲める。
実を云えば、この魔法瓶とやらも前述のコートと同じで、いつだか叔母宅へ置き忘れてきたのを、こちらはてっきり失くしたものとばかり想って居り、先日、何かの折に叔母が使って居るのを見付けて、それ、ひょっとして私のじゃない?と持ち帰って来たのであるが(笑)、叔母は叔母で、こんなのウチに在ったかしら?と不思議に想いつつも、使い勝手が宜しいものだから、珈琲など淹れて結構重宝して居たらしい。是も、やはり学生の頃だかに百貨店で買い求めたものだ。
アラジンの真っ赤なタータンチェック柄の古い型で、今現在の丸みのついて、すっきりした佇まいのと比べると、やはり何処かしら野暮ったいところが良く、気に入って居る。ずっと昔に 『Olive』 で初めて見掛けて、以来ずっと手に入れるまで、あの赤いタータンチェック柄を、心にあたためて居たのだったな。



しみじみ考えてみると、今も変わらず長く愛着を
持って使って居るものに、二十代の始めの頃
買い求めたものが多いのは、偶然だろか。
近頃は何だか、ああ云う気持ちになることが。
ああ云う気持ちになれる品と出遭うことが、
どんどん少なくなってきて居るよな気がする。
いつも今頃の季節になると、大切にしておきたい
色んな物事を想い出しては、あったかな心持ちになる。

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