双六二等兵

ポッケにさすらい 心に旅を 日々を彷徨う一兵卒の雑記帖

夢の緒

|雑記| |本|


弥次喜多in DEEP (1) (ビームコミックス)

弥次喜多in DEEP (1) (ビームコミックス)

弥次喜多in DEEP (8) (ビームコミックス)

弥次喜多in DEEP (8) (ビームコミックス)


知人に、しりあがり寿の描く弥次さんと風貌のよく似た人が居る。この知人を仮に”弥ジさん”と呼ぶことにしようか。もう随分と永いこと逢って居ないのだけれど、不思議なことに近頃、この弥ジさんが度々夢に現れる。一昨日の夢で、弥ジさんと私はゲンセンカン(の様であったと想う)の中で怪しい迷路に迷い込み、何処かではぐれてしまった弥ジさんが、危うくするめ固めにされそうなところを、寸でのところで助け出した。助け出してようやく外へ逃げ出すと、何故か弥ジさんは消えてしまって、ふと見た掌の中には、弥ジさんの持って居たお箸が一本だけ、残されて居た。私はお箸を懐へ仕舞い、ただ黙々と。所々炎の上がる、焼けた石ころだらけの道に弥ジさんを捜し歩き、やがて道は寂しい裸の岩山に変わって、紙で出来た小さな地蔵群に行き当たった。もろもろと今にも崩れそうな岩山のてっぺんで、私は弥ジさんの名を呼んだ。すると何処からか、白い軽トラに乗った老人が現れて、弥ジさんは汽車に乗って遠くへ行ってしまった、と云う。「ここもそろそろ危ない。消えて無くなるよ。」 岩山から眼下を見下ろすと、来た道の奥の方は既に真っ暗で、どんより大きな闇に呑み込まれて居た。「手伝ってやろう。乗りなさい。」 老人に促されるまま、私は軽トラの荷台に乗り込み、真っ赤に焼け爛れた石だらけの荒野へ向かう。そんな夢だった。*1




単に弥ジさんが出て来たから、なのかも知れないが、夢の後に 『弥次喜多 in DEEP』 を想い起こして、手に取る。当たり前だが、物凄く消耗するのでそうしょっちゅうは読めない。だから時折。本当に幾年かに一遍、それでも無性に読みたくなるときが在って、でもやっぱりこの物語は、重い。重くて、底無しで、暗くて。でっか過ぎて、怖い。現と夢。実と虚。生と死。破壊と再生…。相反する何もかもが危うい背中合わせに、脆くて曖昧な境界でもって辛うじて隔たっては居るけれど、何かした拍子でぐにゃりと繋がってしまう。怖い。前半部分は兎も角、”オソレの湖”辺りに入ってくると、物語は凄まじい怒涛へ転がり始め、まるで悪夢の様相を呈してくる。*2ありとあらゆるものがないまぜに、それでも何処かで、安らかな光の気配がするのは何故なのか。とても大きくて、やさしくて、あったかな、何か。知らずつうと涙がこぼれる。
前作 『真夜中の〜』 までは、比較的のほほんと読んで居られたけれど、あれはあくまで、この壮大な命の叙事詩の序章に過ぎず、かと云ってしりあがり氏が、初めからそれを考えて居たとも想えなくて、途中からは、もはや弥次喜多ですら無くなって、物語はどんどん転がって、どこまでも深く大きくなって行って。それを舵取りして収拾をつけられたのは、この人がまるきり正気であったからだと想って居るのだけれど。*3まぁ、この物語は言葉などでは到底説明がつかないから、只もう、どっぷり浸かってしまうしかないのかも知れない。でっか過ぎる。あまりにでっか過ぎるよ・・・。未だに分からないもの(笑)。最後については諸説在るかと想うけれど、どうだろう。あれは、答えは分からないまま、と考えて居る。そして、ともすると、ずうっと分からないままなのではなかろか、とも。答えを探して見付け出し、持って帰って来た者が居ないのだから、やっぱり誰にも分からないのじゃないか。そしてそれが何処に在るかも、きっと誰にも分からない。そもそも”お伊勢さん”と云うもの自体がひどく抽象的なものとして描かれて居り、其処に行けば何が在るのかも、果たして”お伊勢さん”が本当に存在するのかも明かされない。ここに描かれて居るよなことを、四六時中考え出したら、本当に怖くて怖くて、その内に気が狂ってしまうんじゃなかろか。だから私たちは、脳味噌の何処かでそれを忘れて、なるべく考えないよにして居るのじゃなかろか。でも、ときどき。少しだけ考えなければならないときが必ず在って、それで色々折り合いを付けたり、付けられずに居たりするのだ。相変わらず分からないまま。真っ暗闇を頼り無い足取りで歩いてゆく千年ムスコの姿は。或いは、いつまでたってもお伊勢さんに辿り着けない弥次喜多の姿は、ひょっとすると皆、私たち自身なのじゃないかと云う気がする。


もしも。どの夢も皆、夢の緒でもって繋がって居て、何処かへ向かって(或いは只)永遠に彷徨って居るのだとしたら。たまに全く見覚えの無い人だとか、殆ど忘れかけて居た人だとかが、ひょいと夢に出てくることがあるけれど、あれも、そうやって夢の中が繋がって居るからなのだとしたら。ならば私の夢と弥ジさんの夢も、やっぱり何処かで繋がって居て、それがたまたま、とても近くに在ったのかも知れないなぁ。
あの日、弥ジさんは汽車に乗って何処へ向かったのだろ。そして私は、また弥ジさんを見付けられるのだろか…。

*1:何故だか、つげ義春な夢が多い。

*2:弥次さんも喜多さんも、人間じゃなくなって居るし…(苦笑)。

*3:そもそもあれは、正気でなければ描けないとも想う。

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