双六二等兵

ポッケにさすらい 心に旅を 日々を彷徨う一兵卒の雑記帖

Blackhole Sun

|徒然| |回想|


子供の頃、日食を見た。
叔父の工場から、自分の顔の倍もあるでっかい溶接用のマスクを借りて空を見上げると、何やら黒いものの被さったお天道様が、深緑の濁った板越しに、確かに在った。初めて見る日食だった。その日見た日食がどうにも忘れられず、学校の図書室で図鑑を調べてみると、何十年かに一度。すっかり太陽に重なってしまう 「皆既日食」 なる現象の在るのを知った。実に愚かしくも他愛無い間違いだが、その頃の私は”皆既”を”怪奇”なのだと想って居り、けれどもそれを疑いもせず、むしろそうであることこそが相応しいよな頑なさに支えられて、暫くの間は、間抜けに信じて居たのを憶えて居る。
何しろ、図鑑で見た皆既日食の写真と云うのが衝撃で、幼い子供にとっては、未知の巨大な戦慄そのものであった。「真っ暗闇がお天道様を食べて居る!」 先ず 「日食(蝕)」 と云う字面からして恐ろしいじゃないか。”食う”或いは”蝕む”のである。嗚呼・・・是がやって来たら、地球が終わってしまうかも知れない。何だか分からないけれど、あの真っ黒いものが、お天道様も地球も覆ってしまったら。ブラックホールみたいになって呑み込んでしまったら。何もかも、みんな消えて無くなってしまうんだろか・・・。皆既日食の写真に見入りながら、私は在りもせぬあれこれを想い描いては、終末の底知れぬ恐怖に打ち震え、しかしそれと同時に何か。心の隅っこに。ひどく甘やかな夢のよな、うっとりとした感情の湧きあがるのに気付いて、再びぞっとした。慌てて図鑑を閉じ、たった今起こった出来事に茫然とし、子供心にも、それはきっと抱いてはいけない、人に云ってはならないものだと想った。地球が無くなってしまうことよりも、そのことの方がずっと怖かった。*1
そうして成長するに従い、多かれ少なかれ。人は誰しも、恐らく。自分の中だけに仕舞っておくべきものが、其々に在るのだと云うことを知った。誰にも云わず、知られること無く。自分だけが墓場まで持って行くもの。人によっては、全く気付かぬままで居るかも知れないし、また、ずうっと昔に仕出かした万引き程度のものであったり、心に秘めた恥かしい欲望であったりするかも知れない (たとい小さくとも、その人にとっては重大なのだ)。或いは、余りに恐ろし過ぎて、口に出すのも憚られるよなものかも知れない。何れにせよ、気付いてしまったが最後。それは自分の中だけに留め、誰に知れることもないまま、一緒に墓場まで持って行かねばならぬ、と信じて居る。*2自身の心の奥に棲む、得体の知れぬ仄暗いもの。気付いてしまった者は、それもまた紛れも無い、自分自身の一部であるのだ、と云うことを受け入れねばならず、受け入れた後で悩みもがきながら、徐々に共存する術を知ってゆかねばならない。それから先の心の平穏は、その内なるものとの対話によって得られるのではなかろか、と想う。自身と、自身の中で暴れそうになる怪物を、類稀なる創作や芸術へ昇華させることのできる人も在るけれど、そう云う人はむしろ、怪物の手を借りてこそ、昇華させることが可能なのかも知れない。一方で、同じよに己の内に怪物を飼う人であっても (己の手に負えなかったが故に)、とうとう墓場まで持ってゆかれず、人の道を逸れたり、犯罪に駆られてゆく人と云うのは、飼いならすどころか、自分自身が怪物に食われてしまった人なのだろ。そう考えるとつくづく、私は社会を脅かすよなものを飼わずに済んで良かった(苦笑)。くわばらくわばら…。


世間が騒いだ世紀の皆既日食とやらは、やけに寒々とした雨空のおかげで、殆ど見えやしなかった。けれど、初めて見た日のことを、そっと想い起こしてみることは、出来た。あのときの、夢のよな甘やかな感覚は、果たして何であったのだろ。未だ知らぬ、真っ暗闇の先。カタルシスのよな何かを求めることと、もしかしたら似て居たのかも知れぬなぁ。「”怪奇”日食」 のもたらしたブラックホールの闇に呑み込まれた後、世界は一体どうなるのだろ。一旦全部、何もかもが消えてしまった後で、また新たな何かが生まれるのだろか。何度も、何度も。宇宙が、そうやって気の遠くなるよな時間をかけて、ずうっと存在し続けて居るのと同じよに…。


|本|


方舟

方舟

世界のお終いって、どんな風なんだろね。
尤も。
世界が終わるよか先に、自分が無くなって居るんだろうけれど。

*1:かのジョン・ウォーターズ氏は、その幼少期。廃車置場に無残な事故車を眺めたり、超満員のスタジアムが崩落する様を想い浮かべては、何ともうっとりと甘い心地に浸って居たと云うが、今にして想えば、それと似たよなものだったろか?

*2:え?私が墓場へ持ってゆくもの?そんなこた、口が裂けても云えやしません(苦笑)。

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