双六二等兵

ポッケにさすらい 心に旅を 日々を彷徨う一兵卒の雑記帖

ぼくの伯母さん

|雑記| |小僧先生|

僕の考えではおじさんというのはなんだか嬉しい存在だと思うんですね。その人がいてくれるというだけで、なんとなくホッとするようなね、なんか気が楽になるような存在、それが僕におけるおじさんのイメージなんですね。
(中略)
そんなところに、ある日ふらっとやってきて、親の価値観に風穴をあけてくれる存在、それがおじさんなんですね。(中略)親のディスクールと違ったディスクールでくる人、それがおじさんなのね。あるいはカーブの投げ方教えてくれたり、コーヒーなんか飲ましてくれたりもするかもしれないよね。
(中略)
おじさんと話したあとは、なんだか世界が違ったふうに見えるようになっちゃったト、そういう存在が、まあ、僕におけるおじさんというイメージなんですね。


故・伊丹十三氏は、自身の中の”ぼくのおじさん”像について、
こんな風に語って居るけれど、ねぇ、小僧先生。どうだろう。
先生の伯母さんって云うのは、他所の皆から見たら、決して
伯母さんらしい伯母さんとは云えないのかも知れないね。うん。
全く伯母さんらしい伯母さんじゃない。運転免許もお金も、それに
家庭だって無いしね。世の中からちょっとだけズレちゃってて、
そうだな。ここに書いてあるみたいな伯母さん、なのかも知れないな。
幸も不幸も、こんな伯母さんを持ったんだから仕方無い。でも。
ひょっとすると、その方がずっとずっと愉しいのかも知れないんだ。
先生は未だ三つだからね。今は良くは分からないだろうけど、
物心って云うのがつく頃になったら、自然と伯母さんのことが
段々に分かるよになってくると想うんだ。うん、段々にね。
それくらいの歳になったら、伯母さんは色々教えてあげられるし、
もっと話ができるよになって、そうだな。電車でうんと遠くへも
出掛けられるよになるんじゃないかな…。




「伯母さんは独り身で、酔狂な喫茶店なんかやって居て。
休みの日の散歩には、他所の喫茶店へ連れて行ってくれて、
ないしょで珈琲も飲ましてくれて。お金が無いからお小遣いは
滅多にくれないけど、代わりに丁度良いズボンだのシャツだの
縫ってくれて。父ちゃんや母ちゃんと違って、あれは駄目とか
これは駄目とか云わないし、どっちかと云うと、まるきり逆の
ことばかり云って。色々好きにさせてくれるけど、でも
叱るときはおっかなくて。よく分からない話を聞かせてくれて。
泊まりに行くと白と黒の爺さん猫が居て、変わったお風呂が在って、*1
そこいらじゅう、あっちこっち本や何か積んであったり、放って
あったりして、へんてこなものも、やっぱり沢山散らばってて。
部屋はいつでも電気が薄暗くて、いつも煙草を吸って居て……」


本日も本日で、小僧先生が泊まりに来ていらっしゃる。


[余談]


本日昼間、郵便局への道すがら。
近くの小学校より、子供らの歌が聴こえてきました。
♪なつもち〜かづくは〜ちじゅうは〜ちぃやぁ〜


「おや、先生。どうやら音楽の授業の様ですね。」
「・・・・・」
「先生?」
「ふむ。野球選手が歌って居るのだな。」
「????」

*1:正方形の風呂桶の横にガス釜が付いて居て、外に煙突がにゅっと出て居る、アレです。先生は「変わったおフロ」と仰いますけどね、一昔前までは、こう云うお風呂が一般的だったんですよ!

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