双六二等兵

ポッケにさすらい 心に旅を 日々を彷徨う一兵卒の雑記帖

おまるのこと

|猫随想|


そもそもは、ひょんな経緯からであった。数日前の晩のこと。母が日課のウォーキングの帰り道に、一匹の猫を連れて戻ってきた。連れてきた、と云うのは正確ではなくて、ついてきてしまった、と云うのが正しいのであるが、暗闇で目の合った瞬間、物凄い勢いで、鳴きながら母の方へと走ってきたらしい。追い返せど追い返せど、猫の奴、ちいとも怯まず。このまま放っておけば、その内に諦めて帰るだろ、と考えたのだけれど、猫は見目に似つかわしからぬだみ声で「びゃあびゃあ」鳴きながら、店の入り口前に張り付いて、ちいとも離れる気配が無い。隙在らば中へ、とでも考えて居るのだろか。店仕舞いの準備で表へ出るや、猫め。ここぞとばかりに擦り寄ってくる。見ればどうやら歳若い雌猫か。白地に少々の茶ブチ模様。顔も佇まいもかあいらしいのだが、如何せん。鳴き声だけはどうにもいただけない上、始終うるさくてかなわない。中へ戻っても、暫くはダミ声が聞こえて居たが、そうこうして居る内に聞かれなくなり、どうやら諦めて帰ったものと想われた。
一夜明けた昼頃であったか。何処ぞより例のダミ声が聞こえたものだから、ぎょっとして表を見ると、例の猫めが懲りもせず、入り口前に張り付いて居る。困ったなぁ・・・。人の出入りの頻繁に在るのは、喫茶店故仕方が無い。しかしその度に、誰彼構わず擦り寄っては、びゃあびゃあやられるのは困りものだし、第一、うちの飼い猫でもない訳だから、はて。どうしたものか。幸いその日は、のんびりした一日であったので、こちらものんびり、猫の諦めるのを待つこととした。
「おまる。」 昼下がりの窓辺に、Aちゃんが呟く。「おまるみたいだなぁ、と想って。座ってる姿が。」 おまるは入り口前のタタキで、ちょこなんとまあるい形になって、すっかり寛いで居た。しかしまぁ、一体どうした料簡なのだろ。何の気無しに表へ出ると、おまるは早速に、びゃあびゃあと始める。どれどれ。昨晩は良く分からなかったのだけれど、おまるは去勢した雄猫であった。しかも、見目こそ小柄でかあいらしいものの、どうやら結構な歳と見え、抱き上げると驚く程軽く、鳴き方や行動が何処と無く、かつて祖母宅に長年暮らした、ぼけてしまった婆さん猫のそれと重なった。去勢が施されて居るのに加え、毛並みにしても行儀にしても、凡そ根っからの野良とは想えぬし、首の廻りには首輪の跡らしきも在ることなど考えると、何処かの飼い猫がぼけて徘徊して居るのか、それでなければ、ぼけてしまって捨てられたか。したたかに頭を打たれた気がした。
その後も幾度か、散歩に出掛けるふりをしては、付いてくるおまるをまいてみたのだけれど、結局は半日もせぬ内に、どうにかこうにかして戻ってきてしまった。人恋しいならば、人の出入りの頻繁な場所など、他に幾らでも在るだろに。この店は、どうした訳だか、おまるの気に入ってしまったらしい。「気の毒だけど、飼ってやれんのだよ。おまる。」 私には既に共に暮らす猫が居る。私の猫アーロン氏は、おまるよか若いが、それでも充分に高齢であって、これから新たな環境を強いるのは難儀でもあり、そもそもが、他の猫と暮らせるよな性格でないのは、主人である私が良く知る。また、我々の紡いできた十年余の暮らし向きは、昨日今日、そうそう容易く変えられると云うものでも無い。何れにしろ、これから新たにもう一匹、しかも老境の同居人を迎え入れるのは、恐らく無理であろう。曖昧な優しさは酷と知りつつも、少々の後ろめたさを抱えて、僅かにおかか飯を与えると、余程に腹が空いて居たのだろ。おまるはぎゃんぎゃんと鳴きながら、口の端から飯粒をこぼしこぼし、食べた。私はそのままそっと、気付かれぬよにして中へ戻った。腹が満たされて人心地ついたか。再び入り口前の日だまりに戻ったおまるは、すっかり静かとなって、タタキの隅っこにうたた寝などしている。そんなおまるの、小さくてまるこい姿を窓の外に眺めて居ったらば、ひどく胸がきゅうとした。体力も気力も在る歳若い雄猫であったならば、ここより遠くへ放ったところで、然程の心配などせずとも逞しく生きてゆけるだろうが、おまるは老境に入って久しい、しかも多少のぼけも入った爺さん猫である。おまるは日だまりにぬくぬくと、すっかり安堵し切って横たわる。薄い腹を静かに上下させて居るのを見るにつけ、何とも云えぬ心持ちとなり、何故だか、涙がこぼれそになるのであった。
昨夜の店仕舞いの頃。誰も居なくなった店内で独り、編み針をちくちく動かしながら、声こそ聞こえぬけれど、扉一枚隔てたその外側に丸く佇む、おまるの気配を静かに感じて居た。おまるが何故だかここから離れぬ理由は、しょぼしょぼと小さき、安堵の寝顔を見れば充分であり、それ故に、こうした複雑な情けを感じずに居れぬのも、事実か。
何処かへ出掛けて居たのか、おまるは今日も、昼前には律儀に戻って来た。途中で小一時間程姿を消してはまた戻る、を繰り返し、居眠りし、何だかんだと一日の大半をここで過ごした。以前のよに、四六時中びゃあびゃあ鳴かなくなり、随分と落ち着いた風に見えた。何故お前は、ここを選んだのか。偶然が偶然なのでは無く、必然の一つであると考えるのならば、お前がここへ来たのも、何かの巡り合わせか。そんな呟きのよな想いが浮かんで、消えることは無かった。夜になって、母と叔母が日課のウォーキングの際、おまるに後を追わせるよにして出掛けて行った。何処かでまければ、と考えてのことだが、長い距離にも拘わらず、横断歩道を共に渡り、離れてしまわぬよにと、あんまり健気に後を付いて来るおまるの姿に、母らもさすがに哀れと想ったらしい。もし帰りまで付いて来たら、叔母の家で面倒をみてやろうかしら。そんな話をしながら、ふと後ろを振り返ると、おまるの姿は消えて居たのだと云った。幸いに、姿を見失った辺りは、民家も店も在る集落だから、ともすれば、誰か心善き人に世話して貰えるかも知れぬ。けれど、それを聞いた私は、年老いたおまるの、小さなまあるい背中を想い起こして、再び胸がきゅうとなった。ぽろと涙がこぼれるのを感じた。
もしも明日。また、おまるが戻ってきたなら。いつものタタキの隅っこに。いつものよにして、座って居るだろか。手元にいつだか買い求めた、一筆箋が在る。魯山人が色紙に描いた、一匹の猫があしらってあって、それがとても、おまると似て居たことに気付いた。

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