双六二等兵

ポッケにさすらい 心に旅を 日々を彷徨う一兵卒の雑記帖

盛岡旅日記(4)

|旅|

[二日目のつづき]

  • 上の橋〜下の橋 行ったり来たり

福田パン』 を出た後、そろそろお腹も減って来たことだし・・・と、大通を一路てくてく、上の橋の方へ。途中で信号を待って居たらば、もひとつ先の辻角に、先程 『光原社』 で見掛けた青年の後姿。自転車に半分またがった格好のおばさんに、何やら道でも尋ねて居る様子。信号を渡ったところで、一人加わって井戸端となった、おばさんらの脇を通り過ぎると、自転車のおばさんが 「県庁って聞くから次の角を右って教えたのに、あの人左に行っちゃったよ。まったくね〜。」と、もう一人のおばさんに、ほら。と指差して云う(笑)。
橋を渡って紺屋町は 『クラムボン』 へ。少し手前に差し掛かった頃から、既に豆を煎る香ばしい匂いが漂ってくる。午後1時半。昼時の忙しさの去って、今しがた落ち付きを取り戻したばかりの、小さな店内。カウンターに常連さんが一人と、テーブル席に年配の夫婦連れが一組。今様のカフェに在りがちな、あざとさとも、押しつけがましさとも、故意に作られたよな雰囲気とも無縁の、街角の珈琲店の、馴染みの在る、至極自然な穏やかさ。隅っこに越し掛けて、玄米のカレーライスと珈琲をお願いする。ご主人はずっと、入り口横の焙煎機から離れる事無く、額に汗しながら、ジャリジャリと丁寧に豆を煎り続ける。やがて運ばれて来たカレーは、甘みが在ってまろやかで、昨日から、ちょっといがいがして居た胃袋に、じんわりやさしく沁み渡り、やわらかめに炊いてある玄米を、けれども意識してしっかり噛み締めながら、次の匙を口に運ぶ。その間にも、地元の人らが次々と豆を買い求めにやって来て、ご主人は焙煎に量り売りにと、大層忙しそうなのだが、穏やかに誠実に、仕事と向い、人と向かって居る。真面目に。丁寧に。もうずっと長いこと、毎日繰り返されて居る、地味で根気の要る仕事。そんなご主人の仕事の後姿を見て居たら、本当に頭の下がる想いがした。
と、そんな矢先、先程から度々見掛ける件の青年が、ふらり。一瞬ちらと目が合うも、あちらさん、こう何度も行く先々でだと、さすがにうんざりと云った風(推測)。まぁ、良い。それも人生だ。青年は、自分の珈琲の好みをあれこれと伝えた上で、ご主人に見立てて貰った豆を買い求めると、店先のチラシなど手に取って店を出て行った。その間に運ばれて来た食後のマンデリンは、ほんのり甘苦く、心に想った通りの味であったので、私も買って帰ろう、などと考える。店を後にするとき、焙煎機の横を通って、珈琲豆の匂いの熱風が外まで付いて来た。嗚呼、私も日々真摯に、己の仕事と向き合わねば・・・。ご主人の姿を再び目にし、心で呟く。
すっかり充電して、再び来た道を少し戻ると 『盛岡正食普及会』。丁度、白衣を着た業者の人が、ばんじゅうを幾つも重ねて、ロシアビスケットを搬入して居るところ。ガラスケエスの上に、おいしそな食パンが1斤きり、残って居たのだけれど、旅先なのでビスケットを一つだけ。
川沿いの道に入ってからは、のんびりぶらぶら下流へと向って歩く。春休みの子供らが川岸に遊び、人びとの思い思いに憩う風景は、昼下がりの長閑さ。人々の日々の暮らしと、この川と。喫茶 『ふかくさ』 の前まで来ると、常連さんだろか。折りたたみのディレクターズ・チェアを広げて、表で珈琲を飲んで居るのだが、丁度、路面に椅子を広げた高さと、通りに面した窓際の席の高さが同じなものだから、大きく開けた窓のあっちとこっち、内と外とでテーブルを挟んでおしゃべりして居る。何とも素敵な眺め。長い伸びをしながら 「ああ〜!何て良いお天気なんだろね〜!」と外の人。新聞から顔を上げ、それに頷く内の人。本当に、何と良く晴れた、穏やかな散歩日和のことか。
やがて、下の橋までやってきた辺りで道を逸れ、こじんまりした商店街から住宅街へ。盛岡最古の洋館、旧石井県令邸を暫し眺めてから 『啄木・賢治青春館』 をつらつら。その昔銀行だったと云う、古い立派な石造りの建物を使って居る上、入場料も無料とは。併設のレトロな喫茶ラウンジに、ベレーを被った老紳士がひとり、りゅうとお茶を飲む姿。少し離れて、物販スペエスには、熱心に啄木関連の書籍を物色する、ひょろりとした文学青年の姿在り。こちらで、盛岡の風景写真の絵葉書を二枚、買い求める。
この陽気の中、うっかりコッペパンをそのまま持ち歩いて居たので、一旦宿へ戻って荷を降ろし、鞄の中を軽くして、再び散策へ戻る。そうだ、AちゃんとH君に葉書を書かねば。と、その前に宿からすぐの桜山神社へ、気持ちをしゃんとさせ、お参りにゆく。Aちゃんの母上が、翌日に手術を控えて居る。そもそも、本来ならこの旅に同行の予定であったAちゃんだが、母上の急の入院が決まったため、当然ぶらり旅などと、暢気のできる場合では無い。それ故、彼女と母上の大事のときに、私がこうして居ることが、自分では気ままにほっつき歩いて居るつもりでも、何処かでずっと心に引っ掛かって居たのが、正直なところだった。自分も色々と大変だろうに、折角の機会、のんびり心の洗濯でもしてくれば良いよ。と、気持ち良く送り出してくれたAちゃんに、感謝せねば。どうか、母上の手術が無事に済みますように、そして、術後の経過も良くありますように・・・。合わせた手を離して目を開けると、いつの間にやって来たのか。器量の悪い茶トラが、人の顔見て、ニャーと云った。私は、うんと返事をした。
近くでお茶を飲みながら、二人に葉書を書いて、郵便局まで出しに行く。その後 『ござ九』 に立寄って、小さな行李を買い求めた。ずっと前にその辺の荒物屋で買って、裁縫箱に使って居たやつは、恐らく中国辺りの竹でも使った量産品だったのだろ。すぐに角がほつれて、駄目になってしまったが、ござ九で扱って居たのは、岩手の県北で、すず竹を素材に拵えられた、しっかり目の詰まった行李。これなら間違い無く、長く使えますよ。青々とした網代の編み目を手で擦りながら、おじさんが云う。珈琲豆を煎るのも、籠を拵えるのも、丁寧で真面目な仕事は、ちゃんと分かる。
そろそろ夕暮れてきた頃、近くの和菓子屋に入って、大福とすあまを一つずつ買って、城址公園の上まで登った。昼間に川沿いから見たときには、家族連れや子供らで賑やかだったのに、もう、心なしか空気もひんやりしてきて、ひっそり静か。細長い石を置いただけのベンチに座り、先程の包みからすあまを一つ取り出して、小さくかじる。午後4時半過ぎ。何だか、急に疲れてきたよな気がする。思えば、ぼんやりして居るか、それで無ければ歩いて居るか、のどちらかだった訳だから、当然と云えば当然かも知れないなぁ。などと、独り言ち、目と鼻の先の宿へ、戻ることとした。
夕方のニュースをつけると、きれいに整えられた寝台に、どさり寝転び、また性懲りも無くぼんやりする。半時程そうした後、ふと帳面を取り出して、今日一日のあれこれを、忘れぬうちにざっと書き付ける。ああ、そうだ。『ふかくさ』 へは夜になったら、最後の散歩がてらに出掛けよう。湯船に湯を張る間、今日の荷物を粗方整理して居ると、小三時用に・・・と買い求めておいた件のコッペパンが、未だ手付かずで置いてあったのを思い出した。お昼にちゃんとしたものを、しっかり食べたおかげで、それ程お腹は減って居らず、案の定、晩は大きなコッペ二つで充分足りた。風呂に入ると、再び瞼が重くなる。夜の散歩まで、ちょっと仮眠仮眠・・・のつもりが、目を覚ますと夜9時をまわってしまって居た。今からふかくさに出掛けても、幾らもゆっくりできぬしなぁ、と泣く泣く諦めてテレビをつけると、BS-2にて石ノ森正太郎特番を放送中。ふかくさは、次に来た時の愉しみに取っておけば良いさ。今回一番に行きたかった喫茶店だけれど。うん、また来よう・・・。

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