双六二等兵

ポッケにさすらい 心に旅を 日々を彷徨う一兵卒の雑記帖

盛岡旅日記(5)

|旅|

[三日目:帰路]
朝8時起床。外はどんより曇り空。天気予報によれば、昼前には雨が降り出すとのこと。午後1時台の列車で発つ予定で居たけれど、少し切り上げた午前11時ので発つことにして、早速時刻表を広げ、乗り継ぎの練り直し。小牛田での乗り換えが一回増えるが、どうにか良い按配にゆく。身支度を整えて、9時頃食堂に降りて行くと、ほぼ昨日と同じよな顔ぶれ。最後の朝食も、ゆっくり時間をかけて頂いた。あ〜、やっぱり雨が降ってきましたねぇ。後ろのテーブルで、出張と思しき上司と部下の二人がこぼして居る。
9時40分にチェックアウト。気持ちの良い滞在にお礼を述べて、宿を出る。昨日のうららかさは何処へやら。小雨がちらつき、すっかり肌寒くなってしまった。裏通りを最後の散策かたがた、車中の昼ご飯にと、再び 『福田パン』 へ向う。一本はピーナツクリーム、そしてもう一本は、昨日見聞きしたのを真似て、タマゴとポテトサラダを半々のにして貰う。おばさんの手早さは、何度見ても鮮やかそのもの。茶色い袋をぶら下げて、途中 『光原社』 に立寄るが、探して居たよな風合いの器はやっぱり見当らなかったので、また次の機会に。
午前11時6分、列車は盛岡を出立。一日目の夜は、何だか自分でも見当のつかぬ、不思議な寂しさと云うのか。センチメンタルな有耶無耶に包まれながら、明くる朝を迎えたものであったが、この朝に感じた寂しさは、むしろ、この地を去らねばならぬことへの、理由のはっきりとした寂しさであることが、自分でも良く理解できる。ホームを滑り出した列車は、次第に盛岡を遠ざかる。一ノ関、小牛田と乗り継ぎながら、どのくらい経った頃だろか、須賀敦子 『ミラノ霧の風景』 を読みながら、ふと窓の外に目をやると、田畑の延々と続く曇天の中の平野に、ぼおっと濃淡をつけたよな分厚い霧の覆う光景と出遭って、思わずどきりとした。ロンバルディアの平野で須賀の見た風景も、これと似ていたのかしら・・・。列車は時折汽笛を鳴らしながら、重たい霧の風景をゆく。
乗り換え待ちの仙台駅の中は、何処も彼処も騒音と人とで溢れ、仕方なしに入ったチェーン店のカフェもまた同様。諦めて薄っぺらい珈琲に甘んじ、待ち時間を持て余しながら、旅路の名残惜しさに尾の先を引っ張られても、やはり家に、故郷に帰ると云うのは、頼り無き真っ暗な道にあって、ずっと遠くに見える一点の灯火にも似た安堵、とでも云うのか。早く荷を降ろして安心したい、と感じるものなのかも知れぬな、などと思う。午後3時18分、仙台を出る。
原ノ町で乗り換えると、車両は急にがらりとなって、この車両へ乗り合わせた人に、私が何処から乗って来たかを知る人など、当然とは云え、誰一人居ないのだなぁ・・・と云う想いが、ふと沸いてくる。旅に出る前には、原ノ町なんて随分と遠くに感じて居たのに、一度通り過ぎて戻って来たら、もう旅も殆どが終わった程の心持ちになって居るのだから、おかしなものだ。暫く目にして居なかった海沿いの風景が、すっかり日暮れて鉛色となった暗い色の中に、寒々と滲んで居る。人家も少なく、荒涼とした、ひどく寂しい海沿いの眺めは何処と無く、ワイエスの描いた海辺の風景と似て居る気がする。色の少ない濃淡でつくられた、押し殺したよな、遣り切れない程に寂しい風景。寂寥。
午後6時をまわって、いわきを出る。長かった旅の終わりがようやく近付いて、良く良く見知った土地に入れば、もう旅が終わると云う安堵と、否、旅がまだ続くのではなかろか?と云う錯覚との入り混じったよな、宙ぶらりんの心持ちが暫く続いて居たのだが、やがて聞き慣れた駅名を耳にした頃には、ほっとして、ふうっと力の抜けたのが分かった。そう云えば、私の周りにずっと在った、この匂い。傍らに座ったバックパックの底の、つやつやした珈琲豆の、微かな存在。嗚呼、この匂いは、盛岡からずっと私に付いて来たのだ・・・。

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