双六二等兵

ポッケにさすらい 心に旅を 日々を彷徨う一兵卒の雑記帖

過去に在る街

|雑記|


昨夜見た夢の中で、私はと或る街に滞在して居た。何某とか云う学者先生の調査に、助手として帯同して来たのだけれど、調査の詳細も知らず、鞄持ち以外にこれと云った仕事も無い。これも役得かしらと考えて、宿の辺りを散策してみるが、その街は地方都市の典型と云うのか。近代的で鋭角なビルやらデパートやらに混じって、取ってつけたよな店々の並ぶ、面白味も何も無い街故、私の宿も是また、実に無味乾燥なシティホテルである。丁度、暇を持て余しかけたところに、役所のよこした我々一行の案内役の内の一人、M下氏と云う青年がやってきて 「ホビ野さんは、もう土方へは行かれましたか?」 と訊ねる。 「土方?何処ですか、それは?」 「ホビ野さんなら、きっとお好きではないかと思いましてね。ここからバスで二十分程ですから、今から僕が案内しましょう。」 何やら面白そうなので、M下氏にくっついてゆくことにする。


シティホテルの前の停留所からバスに乗り、暫し。駅前の大通りも端の方まで来ると、大きな建物も賑わいも減り、次第に景色が変わってくる。 「丁度この辺りで新市街が終わりますよ。」 とM下氏。彼の話によれば、どうやらこの街の中心と云うのが新市街、その幾らか外れの方に旧市街とやらが在り、中でも土方町と云う地区界隈が面白いのらしい。バスが廃線になった踏み切りを渡ると、大通りはT字路で終わって居る。そのどん詰まりを大きく左折して暫くゆくと、先に石造りの古びた建物が見えてきた。 「次で終点の土方ですよ。」 やがてバスは小さなロータリーで止まり、我々はバスを降りた。石造りの立派な建物は旧市庁舎で、現在は使われては居ない、とM下氏。その向かいの、とんがり屋根がかあいらしい木造の建物は、二十年程前まで使われて居た駅舎で、新市街が整備され、線路の一部がそちらに移ったことにより、古い線路は廃線となり、それにともなって駅舎も移ったとのことだった。ロータリーから、道は三方向に別れて居たのだが、M下氏は迷わず坂道を選ぶ。
坂道を上りながら、私はこの道が何処かと似て居る気がした。 「あっ。病院坂と似て居るんだ。」 と独り言つ。 「云われてみれば、そうかもしれませんね。」 M下氏は、ズボンのポッケからハンカチを取り出して、鳥打帽のつばを持上げては、しきりに額の汗を拭って居る。ふと、白い半袖の開襟シャツの袖口に「M下」と名入りのしてあるのに気付き 「M下さんは、シャツは誂えですか?」 と訊ねると 「ええ、はい。今どきのは、どうもその・・・。ここの町内の仕立て屋で誂えて居りまして。」 と、汗を拭き拭き照れながら答えた。この辺りは旧家が多い。見たところ、道の両側に点在する眼科医院、写真館と云った建物らは、何れも今まだ現役らしく、古いながらもきちんと手入れされた様子から、地に足着いた人の生活の匂いが感じられる。坂の途中で後ろを振り返ると、眼下にねず色の屋根瓦が魚の鱗のよに並んで見え、その向こうに、旧駅舎の臙脂色したとんがり屋根、旧市庁舎の立派な佇まい。新市街のビル群は、それらのずっと右手向こうに、無表情に固まって見える。
「いやあ、好いですねぇ。土方。」 「好いでしょう?土方。」 M下氏は、ハンカチ片手に得意気である。大きな欅の木が、通り沿いの屋敷の塀からはみだして、丁度良い木陰を作って居り、ジージーと云う蝉の声が、静かな坂道に風情を加えて居るのが、何とも好ましく思えた。M下氏の提案で、坂を上り切った少し先に在る食堂で、一息入れることに賛成した矢先。私は、と或る一軒の木造の建物の前で足を止め、まじまじと見入ってしまう。元は店舗だったのだろか。真鍮のまあるいドアノブのついた木の扉は、古びて黒々として、赤や青の色硝子がモザイク状にはめ込まれて居り、入り口脇の植え込みの和蔦が、実に塩梅良く絡まって居るのが、何とも素敵で心奪われてしまった。こじんまりした佇まいの古い二階建てで、誰も住まっては居らぬ風に見える。
「素敵な建物ですね。見たところ、空家みたいですけど・・・。」 するとM下氏は、ふふふと笑って云う。 「どうやらお気に召されたようですね。仰る通り、ここは今空家になって居りますが、実は元々、私の祖母の家でしてね。喫茶店だったのですよ。」 それを聞いてすっかり気が動転した私は、咄嗟に口走ってしまう。 「ええっ!そっ、それでは、もし私が借りたいと申し出ましたなら、何とかなるでしょうか??」 「ハハハ。ホビ野さんは、きっとそう仰ると思いましたよ。まあ、腹も減ったことですし、すぐそこで昼飯でも食べながら、ゆっくりお話しましょう。」 M下氏は坂の上を指差した。
M下氏に導かれるまま訪れたこの町に、私は不思議な縁を感じずには居られなかった。頭の中は先程の物件のことで一杯になりながら、やっとこ坂を上ると、すぐそこに食堂が在り、暖簾をくぐって中へ入ると、数名のお年寄り連が、めいめいの席に座って、和やかに食事をして居る最中である。品書きもそこそこに、てんぷら蕎麦を注文して店内をしみじみ見まわして居ると、その内の一人、開襟シャツにループタイ、ベレー帽と云う出で立ちの、かあいらしい老人が声をかけてきた。 「あんたは何処へお泊りかな?」 仕事で来て居るもので、新市街のシティホテルなのですが・・・と、遠慮がちに答えると 「でもこっちの方が良いじゃろ?そうだ、M下さん。あんた役所の人なんだから、この人に柳屋を教えてやったらどうかね?」 と云う。 「ああ。それもそうですねぇ。ホビ野さん。ここいらに良い宿があるのですが、ホビ野さんさえ宜しければ、そちらに宿替えして差し上げましょうか?」 柳屋がどんな宿なのかも知らぬまま、一もニも無く 「はい!お願いします!」 と返事する。嗚呼。きっと私は、始めからここへ来るようになって居たのだ・・・。運ばれて来たてんぷら蕎麦をすすりながら、何だかとても仕合せな心地になってきて、学者先生のことも仕事のことも、すっかり忘れてしまった。

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