双六二等兵

ポッケにさすらい 心に旅を 日々を彷徨う一兵卒の雑記帖

ペパーミント・パティの憂うつ:後編(1)

|回想|


(前回よりのつづき)
ニ学年へと進級した私とOちゃんは、各々のクラスに分かれた。教室が旧校舎と新校舎だっため、互いの教室への行き来はそれ程無かったものの、同じ図書委員ではあったので顔を合わせる機会も多く、相変わらずのおかしな距離感を保ったままで居た。決して冷めて居たのではない。所謂、女子に在りがちな「べったり仲良しさん」が苦手だった私たちには、それが最も心地良い友人関係であったのだが、程無くして、同じクラスのK崎と云う女の子が「私、前からホビちゃんと友達になりたかったの!」と、かなり積極的に接近してきた。うわ、苦手なタイプだなぁ。けれど、基本的に来る者を拒まぬ質の私は、何となく成り行きでK崎と親しくなった。彼女は決して悪い子ではなかったが、自己陶酔が過ぎると云うのか、どうも感情に溺れ易く、外からの影響を受け易いタイプであったため、私が朔太郎を好きなら、K崎も。私が太宰を好きなら、K崎も・・・と云った風に全てがそんな具合で、これには全く切りが無く、結局はいつも手を焼かされた。始めのうちは、いちいち困惑して居たのだが、やがて日常的になったK崎の一連の行動にも、その内に草臥れて慣れていった。
或る日の移動中、私は、連絡通路でOちゃんとばったり行き会った。彼女の小脇にはしっかりと「国語便覧」が抱えられており、私はニヤリとした。彼女も「お!ホビ野さんも相変わらず持ち歩いてるね、便覧。」と、私の小脇を確認する。「国語便覧」は云わば、我々文学少女(笑)にとっての「スタア年鑑」のよなものであり、常に持ち歩く習慣を互いにまだ続けて居たことが、何だか妙に嬉しかった。それを傍らで見て居たK崎が、翌日から便覧を持ち歩くようになることは、或る程度、予測のつくことであったけれど。
そんな風にして、一年はあっと云う間に過ぎてゆき、私たちはいよいよ三学年へと進む。程無く、私は図書委員長、Oちゃんは副委員長となり、(曰く「あたしは補佐が好きなんだよ。」)予てからの野望でもあった「文芸部」創設に向け、着々と動き始める。「部」として活動するには、申請の際の登録者の数だの何だのと、制約もうるさかったのだけれど、「同好会」であれば、せいぜい十人足らずの登録で許可が下りる、とかそんなよな話だった気がする。その代わり、部室も基本経費も与えられないのだが、相談の結果「部」だと色々大変そうだから、この際同好会でも良のではないか、と話はまとまり、友人らに協力を仰ぎつつ、ぼちぼち人数を集めてゆくのだった。
そんな或る日。図書当番だった私は、ひとりカウンターの中で「クロスビート」誌など読み読み、マイペースに雑務をこなして居た。相変わらず人っ気は疎らで、雑務がはかどるのが良い。そこへふらりN山がやってきて、N山は、私を見ると勝手にカウンターの中に入ってきた。
「ホビ野さあ、Oちゃんらと文芸部つくんの?」
N山は勝手に座り、勝手にクロスビートを読み出す。
「そうだよ。何でアンタが知ってんの?」
「何でかね。ひょっとして、アンタが何の用?とか思ってねえ?」
「別に思ってないよ」 私はN山に作業を手伝わせた。N山はだまって手伝った。
N山…。この男とは、一年の時に同じクラスになったのだが、彼にはいつも不気味な黒い噂がついてまわった。本当に頭がイカレてるとか、社長の一人息子で月の小遣いが30万だとか、後ろにはヤクザがついてるだとか、一旦キレてしまうと人を殺しかねないとか、ボクシングをやってるのは、単に人間を殴れるからだとか、紐で繋いだままの犬を蹴り殺したとか、暴行して妊娠させた女子中学生の腹を殴り、無理やり流産させたとか。中には眉唾なものも混じって居たのだろうが、兎に角、皆の中で「N山は、物凄くヤバい」と信じられて居たし、まあ、N山が顎ヒゲを生やそうと金髪にしようと、学校側からはこれと云ったお咎めも無かったし、それを考えると、アイツが好き勝手できるのは、N山の父親が、入学時に納めた寄付金の額が半端じゃなかったからだ、と云う話も、まんざら嘘ではなかったのかも知れない。しかしこの男、或る日突然、ただの人へと失墜する。
N山が一週間程、学校を休んだことがあった。噂では、その辺の、たかだかヤンキー二人にボコボコにされ、手も足も出なかったらしい、と云うものであった。やがてN山は登校した。生傷も未だ癒えては居らず、口角が腫上がり、骨折した腕が、首から吊り下げられ、頭には包帯を巻いて居た。
「N山ってさ、実は大した事ねぇんじゃねーの?」
「N山の噂って、全部ハッタリだったみたいよ!」N山は、肯定も否定もしなかった。
彼の取り巻きは消え、女子は理不尽なセクハラから解放され、やがて、誰もN山を相手にする者は居なくなった。
話を戻そう。
「あのさ〜、部員の数足りねえんなら、俺の名前使ってもいいよ」
N山がぼそっと云った。
「はあ?何でN山の名前なんか、使わなきゃなんないの!?」
「まぁ、普通に考えりゃそうだよな〜。いいよ。別に」
云った後で私は、何か悪いことしちゃったかなぁ…とも思った。何故なら、私は知って居たのだ。N山が時々、ひとりでここに来ては、棚の奥の方でボーっとしたり、何かを読みに来て居るのを。私はいつも見て見ぬふりをしてやった。多分、N山もそれを知って居たと思う。
「いや、別にそういう意味じゃない。N山の口から聞くと、どうしても本当っぽく聞こえないんだよ。でもさ、N山が名前だけでも貸してくれれば、正直助かるよ」
「そんなら、いいんじゃねえの?使いなよ。ただなぁ、Oちゃんがいいって云うかな〜」
そうだった。Oちゃんは、N山に口癖のことで始終からかわれていた為、N山を猛烈に嫌って居たのだった。何とか説き伏せられるだろか。
「それとさ、ホビ野ってK崎と仲いいけど、アイツは気をつけなよ」
N山が云った。私は彼の云わんとすることに、大方の予想はついて居た。
「うん、分かるよ。N山は、K崎と中学同じだったんだよね。」
「あ、分かってんならいいけど。自殺未遂とかしてっから。K崎って」
嗚呼。何だか無性に、気が重くなってくる。面倒くさい…。
「じゃ、そろそろ行ってみっかな」
N山は立ち上がり、椅子を元に戻すと図書室から出て行った。彼が帰った後、私は考えて居た。N山に関する一連の噂は皆、N山本人が認めた訳でも、否定した訳でも、まして本人の口から出たものでもなく、単にその得体の知れない雰囲気故、誰からともなく広がっていっただけの、結局、正体の無いものだったのではないか。そしてN山は、こんな風になっても、いや、こんな風になる前からずっと、孤独であったんだなぁと。
ともあれ、N山の思いがけぬ申し出も在り、我々は辛うじて「文芸同好会」を設立できそうだ。
次なるは、受け持ちの顧問を引き受けてくれる先生探しである。いや、探さずとも既に、目星はつけてあるのだが。
        

     後篇(2)につづく
え?まだひっぱるの(笑)?
次で終わりますので、もう暫くお付き合い下され。

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