双六二等兵

ポッケにさすらい 心に旅を 日々を彷徨う一兵卒の雑記帖

ペパーミント・パティの憂うつ:前篇

|回想|


今しがた、押入れ深くの奥まったところで、
ビデオテープの入った段ボール箱を取り出そうと、
ガサゴソやっていたところ、丁度、箱の角が
旋毛の辺りを直撃。あまりのことに涙目になりつつ、
半分ヤケになって蓋を開けた。探して居たものは
すぐに見付かったのだが、そこには何とも
懐かしき一本、当時の旬な男であった三上博史
詩人・中原中也を演じたドラマ「汚れちまった悲しみに」も。
うわぁ、懐かしい…。
同時に私は、或る人のことを思い起こす。



Oちゃん。彼女とは、高校一年の時に同じクラスになった。Oちゃんは、川原泉のマンガに出てくる、半目の女の子みたいな風貌の子で、彼女自身も川原泉が好きだった。どんなきっかけだったのかは、正直、あまり覚えていないのだが、彼女と私は文学(とその周辺)を通じて友人となった。Oちゃんは一風もニ風も変わった人で、その飄々としたキャラクターに、私は時として尊敬すら覚えたものだ。萩原朔太郎中原中也澁澤龍彦などをアイドルとした私に、Oちゃんは「ホビ野さんは面食いなんだな。あたしゃ好きじゃない」と云いつつも、実は「月に吠える」を鞄に隠し持って居たり「この中也さんの写真は、修正なんだよ」と毒づいたりしたものだ。三島由紀夫を捕まえて「ミッシーはかわいいんだよなぁ」と軽口を云い放つ彼女の傾倒したのは、芥川や谷崎、それと、ニーチェドストエフスキーだったよに記憶して居る。そんな私たちの共通のアイドルが、太宰治だったのは余談だろか。
休み時間ともなれば、ふたりして短編をバトンリレーした。Oちゃんが先ず、わら半紙に書いてよこす。それを受け取った私はその続きを書いて、またOちゃんに…と云った具合で、Oちゃんはいつも書き出しが上手かった。私が「サナトリウム」やら「青白い手首」やら、そんな方向へ持っていこうとすると、彼女は「ホビ野さん、またそっちに行きすぎ!軟弱だ!」と吠えて、そうはさせじと、必死に軌道修正するのである。また、彼女は、当時は未だマイナーな語学であった、ロシア語を習得すべく日々、NHKロシア語講座のテキストを傍らに広げ、ブツブツ念仏を唱えるよにして熱心に勉強して居たものだった。
私たちはお互いそれぞれに、グループとかそう云う類のものでは無いにしろ、そこそこ仲の良い友人たちが居たのだけれど、不思議なもので、私とOちゃんを除けば、その二つの付き合い同士の接点は、恐らく全く無かったと思う。私の友人たちは主に音楽を通じた仲間。一方、Oちゃんの友人たちはマンガ好きの仲間で、それ故「文学」と云う点においては、私も彼女もその子たちとは、共通点が無かったのだと思う。
或る日、Oちゃんは私にこう云った。
「この高校、文芸部とか無いんだよね。作ってしまおうか?」
私たちは確かに、その言葉に胸が高鳴ったけれど、しかしその時点ではただ、二人遠い目して溜息をつくだけに終わった。
そしてやがて一年が過ぎる。私は数学が無いから、と云うそれだけの理由で英語クラスを、彼女は図書館司書の夢のために、国立文系クラスをそれぞれ選択し、二学年へと進級することとなる。



後篇へつづく

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