双六二等兵

ポッケにさすらい 心に旅を 日々を彷徨う一兵卒の雑記帖

ペパーミント・パティの憂うつ:後篇(2)

|回想|


(前回よりのつづき)
さて。我らが「文芸同好会」の顧問探し。実は、既に目星はついていた。国語教師のM子先生。36歳。独身。日頃から私たちのよな、ちと毛色の変わったおかしな乙女らに興味などを持ってくれる、非常に稀有の理解者であったので、こと顧問に関しては誰もがM子先生で一致した。M子先生は、きっと快諾してくれるさ…。私とOちゃんは名簿をがしりと掴んで、職員室の扉を叩いた。M子先生は既に噂を耳にして居り、我々の申し出に対して「よかったあ!頼まれなかったら、どうしようかと思ってたの!」と、こちらがかえって拍子抜けする程に、喜んで引き受けてくれた。ところが。渡した名簿を読み出すや、M子先生の顔が急に強張る。
「何これ!N山君が居るじゃない!」
嗚呼。そうだった。M子先生は、N山の理不尽なセクハラ(笑)に耐え切れず、キレて帰ってしまったことが、幾度と無く在ったのだ。私は慌てて経緯を説明し、半ば強引にM子先生を納得させる形で、今後の段取りをつけることが出来た。
そんなこんなで間も無く許可が下り、私たちの「文芸同好会」は正式に活動することを許される。活動の場は印刷室の片隅。輪転機とわら半紙、インクの匂いに囲まれた、なかなか居心地よろしい空間である。主に会合に出て来るのは、実質的会員の私、Oちゃん、K崎、Hちゃん、Mの5名で、それに大抵はM子先生が加わった。OちゃんとK崎のピリピリした小競り合いは、大方予想のついたことではあったが、会で二か月に一度発行する冊子の名前決めの際にも、冷や冷やする場面が数回在った。
会長はOちゃんなので、最終的な決定権はOちゃんに在るのだと、私がK崎にそう云って聞かせ、これもまた半ば強引に納得させた。結果、冊子の名前は「空文」に決定。ペンネエムに関しては、それぞれが自由につければ良いし、それが決まれば後は各々、冊子に発表するべき作品づくりに、思う存分打ち込めば良い。私はそれこそ鬼のような勢いで、諸々の作業に没頭した。レイアウトや表紙、構成など、自分の作品づくり以外にも、するべきことは山のよに在った。
やがて、各々の作品もあらかた書きあがり、編集の作業は進んでゆく。我々の活動は、大抵の場合が好意的に受け止められはしたものの、中には捻くれた教師も居て「何をとち狂ったか、今頃純文学なんて下らない。受験勉強はどうしたんだ?」と、おおっぴらに毒づいたり、その鉾先がM子先生に向くことも、最初は幾度か在った。そんな時M子先生は、なりふり構わず云い返し、或る時などはわーっ!!と泣いてしまったりもしたので、これにはさすがに、毎回毒づいてばかり居る鬼教師Yも,職員室内で気まずい立場になってしまって、それ以降、表立っては何も云わなくなった。
M子先生は、印刷室に戻ると私にこう云った。
「東京まで、オカマのメロドラマを見に行くような、こんな私なのに…」
恐らく「トーチソング・トリロジー」のことかしら(苦笑)?先生は続けた。
「顧問のこと、本当に嬉しかったの。ホビちゃんやOちゃんたちが、文学を軽やかに楽しんで居るのが、私には、或る意味ショックだったのね。勿論、良い意味で。頭でっかちにならないユニークな発想で、太宰や三島をまるでアイドルみたいに。この同好会にしても、文学を今の感覚で楽しむ姿勢が、何だか新鮮だったし、あえて今、純文学をやることが、面白いなって。私も皆と同じ年頃だったら、絶対入っていたと思うの。こういうの、やりたかったな、って…」
私は何故か、もらい泣きして居る自分に、はたと気付いた。Oちゃんも輪転機を回しながら、こっそりと鼻をかんで居た。
そんなこんなで「空文」第一号は完成する。わら半紙に印刷して、綴じただけの、二十ペエジ程度の冊子。インクの匂い。ざらっとした手触り。全てが手作りの、いとおしい、素敵な第一号だった。もし今、それを見ることが在ったとしたら、それは恐ろしく未熟で、恐ろしく稚拙なものに映ることだろう。けれど、気恥ずかしさに悶えながらも、そこに在るのは、インクの匂いと共に思い出す、愛しきノスタルジアに、違いないのだ。
その後も「空文」の発行は続いたが、受験云々が在り、記憶では確か三〜四号程で終わったのではなかっただろか。そもそもが、端から存続のことは頭に無かった為、我々が卒業すれば、同好会もそれと同時に無くなった筈だ。
やがて私は学園内の大学に、K崎は同じく短大に進むことが決まった。一方Oちゃんは、第一志望の、国立T情報大に落ちてしまい、結局、私と同じ大学に進むこととなった。K崎は短大で、手ごろな友人を見つけ、ちやほやされることで、すっかり満足して居るようだった。私は肩の荷が下りたと云うのか、それで良いような気がした。同じ敷地内に居たため、K崎に呼ばれて幾度か短大を訪ねることが在ったけれど、何だか面倒に思えてやめた。Oちゃんは、T情報大に落ちてからと云うもの、まるで別人だった。以前のよなオーラは、すっかりなりを潜め、よく探さぬと、Oちゃんが何処に居るのか分からない程だ。それに、私と彼女は、学科が別であったことも在り、私たちが行き会う機会は、自然、減っていった。
その大学も、卒業してから十年近くが経過した。あれ以来、Oちゃんにも、M子先生にも、K崎にも会っては居ない。皆が、何処で何をして居るかも、私は知らない。けれど、それで良いと思う。
想い出と云うものは、うっかり深追いすると、ほろ苦い後悔だけを残すものだ。
    

    おしまい

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