|縷々|
父方のT叔父が亡くなった。
十年前に大腸癌の手術をして、その三年後に今度は肝臓に癌が見付かって、
数年の余命を告げられながらも、憎まれっ子何とやらを地でゆく格好で、
何だかんだ、余命よりもずっと長く生きて、そして逝った。
父の男兄弟の中で一番下のT叔父は、やんちゃで愉しい叔父だった。
婿養子に行った先で、姑にぎゅうぎゅうとやられた所為か、
歳を重ねるごとに僻みっぽくなった気もがするが、
根は寂しがり屋だったから、口で云う程のものじゃなかった。
癌が分かってからも、煙草は止めず、食事も制限せず、
この一年間は抗がん剤も止めて、数か月おきに入退院を繰り返しつつ、
自分が納得する形で癌と付き合って居たようだった。
最後はエンディングノートならぬ、チラシの裏にメモ書きにして、
自らの葬儀について、ああだこうだと我儘みたいな希望を残してあった。
通夜の日取りが決まり次第、真っ先にどこそこへ刺身の盛り合わせを予約すべし。
鮨はどこそこへ注文して、酒は〇〇の五合瓶を用意すべし、等々などなど。
終いには、喪主である長男の挨拶文まで自分で書いてある始末で、
是にはさすがに皆で呆れて、泣きながら大笑いした。
他にも実に叔父らしい企み、と云うのか。我々身内全員にあてて
ずらり、自ら手作りした天然石の数珠が用意されてあり、
何でも今年に入ってから、こつこつと作りためて居たのらしい。
皆で見せ合ったら、一つと同じ組み合わせの数珠は無く、
恐らくは其々を思い浮かべて、石を選んで作ったのだろなぁ。
私のは水晶で、途中の二箇所に金属の飾りがあしわれて居た。
薄紫の房もぴたりで、渋くて恰好良い。T叔父、有難うね。
いつもならば、お中元を持って店にやって来る頃だったのにな。
悪戯っぽい憎まれ口が懐かしい。気の合う愉快な叔父だった。
そんなT叔父が居ない今年の夏は、さびしい夏になるなぁ。