双六二等兵

ポッケにさすらい 心に旅を 日々を彷徨う一兵卒の雑記帖

役割

|若旦那| |忍び|


若旦那の入院以来、二匹は何処かしら体の一部をくっ付けるよにして、一緒の場所に居ることが多くなった。しかしながら、所謂”べったり”とは違う。気が付いたら、いつの間にか傍に寄って、控えめにくっ付いて居ると云った塩梅で、大抵は若旦那の方が忍びちゃんに近付いてゆき、そっと頭を寄り掛けるなどすると、忍びちゃんが黙ってそれを受け止める。そうして、そのまま眠ってしまったり、或いは只じいとして居たりするのである。



忍びちゃんは、いつだって事情を理解して居るのだ、と想う。体ばかり大きくても、子供っぽさの抜けない若旦那と比べると、年少である筈の忍びは、精神的に随分と大人びたところ、既に何か悟って居るよなところが在って、それは何と云おうか。一度は死に向かいつつあったが故に得た、不可思議さ、とでも云えば良いか。時折やや高過ぎるよに感じる共感能力も、こうしたところに因るのかも知れないけれど、私にはそれが何だか、元から忍びの”役割”であったよに想えるときが在る。他の誰でも無い、忍びの”癒し手”としての役割。若旦那もそれが分かるからこそ、ああして傍らを求めるのだろ。



それと同様に、若旦那にも彼の役割が在る。かつては不安から威勢ばってばかりの、過敏な子猫だった忍びちゃんが、若旦那の屈託の無さと明るさの元で共に暮らすに連れ、次第に平穏と落ち着きを得、今では差し詰め僧侶のよな佇まいを得るに到った。気を許した相手には、一切を預けてくれる。心から愉快な気持ちにさせてくれる。”只、居るだけ”で良い。それが若旦那の”役割”なのである。

<