双六二等兵

ポッケにさすらい 心に旅を 日々を彷徨う一兵卒の雑記帖

よき貧しさへ

|雑記|


本日付の読売新聞朝刊は文化面に、作家の池澤夏樹氏が被災地を訪ねて寄せた文章を見付けた。 「よき貧しさの構築が課題」 と云う太字の上には、瓦礫の中で遠くを見つめる氏の写真が添えられ、気が付けば幾度も幾度も読み返して居た。淡々としながらも、ずしりと重い。抜粋してここに紹介したいと思う。

翌日の朝、ぼくは仙台市若林区荒浜にいた。見渡すかぎり住宅の残骸と瓦礫が広がっている。とても静か。震災から四週間近くたって整理はひととおり済んだのか、ほとんど人はいない。聞こえるのは潮騒ばかりで、それに潮の香りが混じる。(中略) ここに帰ってくることはない。みな避難所で苦労の多い暮らしをしているか、あるいはもうどこにもいないか。
(中略)
仙台の後、石巻、女川、大船渡、陸前高田を見て回った。(中略) 破壊の様相の違いを見ていたのではない。できるかぎり広く見て、それを元にあまりに広範囲な全体を想像しようと思ったのだ。廃墟に人はいない。そこに経って、移転を強いられた人々のことを思う。
罹災した青年が外から 「一緒にがんばろう!」 と言われるのにうんざりしているという話があった。 「東京の人も不幸になってくれ。そうしたら一緒にがんばる」 と彼は言った。帰るところのない人が帰るところがある人にそう言っている。
(中略)
地震津波は多くを奪ったし、もろい原発がそれに輪をかけた。その結果、これまでの生活の方針、社会の原理、産業の目標がすべて変わった。多くの被災者と共に電気の足りない国で放射能に脅えながら暮らす。
つまり、我々は貧しくなるのだ。よき貧しさを構築するのがこれからの課題になる。これまで我々はあまりに多くを作り、買い、飽きて捨ててきた。そうしないと経済は回らないと言われてきた。これからは別のモデルを探さなければならない。
被災地を見て、要所要所に賢者はいると思った。若い人たちもよく動いている。十年後、この国はよい貧乏を実現しているかもしれない。


<本日付 読売新聞より抜粋>

文中の青年の言葉が、ぐさりと刺さる。被災者自身が自ら口にする 「がんばろう」 と、そうではない者が彼らに向けて口にする 「がんばろう」 との間の、大きな隔たり。そしてその隔たりは恐らく、青年が云ったよに、両者が同じ立場になることでしか埋まらない。共感と共有の絶対的な、違い。是は残酷な事実だ。
巷では、真否の定かでない情報が交錯し、人々はそれに振り回される。増え続ける電力の需要を担ってきた筈の原発が危機にさらされ、存在そのものの是非が問われる。自粛は本来の意味を離れ、暗黙の重い枷となって居る。盛んに叫ばれる 「がんばれ」 の先、この先に在るものは、果たしてどんな姿であれば良いのか。元通りに、と皆が云う。けれど、元の通りに戻すことが最善なのか。
「よき貧しさ」 私はこの言葉を、深く心に刻む。

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