双六二等兵

ポッケにさすらい 心に旅を 日々を彷徨う一兵卒の雑記帖

小屋守

|徒然|


YさんとTさんから其々に小包が届いた。
箱の中には甘い焼き菓子。届いた日も、送って下さった品物も違っては居たけれど*1、「ホビさんも、ほっと一息どうぞ。」 と云うお二人のお心遣いは、さながら心の支援物資みたいで、しみじみと心から有難く、お茶の時間を待って、ほっと穏やかな心持ちでお菓子を頂いた。こんなひとときが在って、私は人らしく在れるのだなぁ、と。お二人の心のこもった小包は、それを改めて気付かせてくれた。うん。だから、私は珈琲を淹れ続けよう。
そんな折。いらしたお客さんが 「こんなときにお茶なんて、ねぇ」 と申し訳無さそに云う。いいえ。こんなときだからですよ。と添えると、躊躇いがやわらかく綻んだ。そうなんだな。こうして目に見える傷跡が日に日に取り除かれつつあっても、知らず知らず日常をすり減らし、心身ともに疲弊して。だから、一杯の珈琲やお茶なんてものへの余地が、ずっと後回しになるのは当然なのであろうし、もしそれを思い浮かべたとして、後ろめたさにも似た心情へ戸惑うのは、誰しもが同じであると思う。やがて日が経つに連れ、様々な場所の様々な人々の間で、不平不満や苛立ちが、じわじわと滲み出してゆく。国中が復興へ向かうエネルギーの陰で、ともすると、いがいがとした感情も溜まってゆく。
人が人らしく生きようとするのに必要なもの。憩いだとか、安らぎだとか。それを求めるのは、決して後ろめたいことじゃない。一杯の珈琲やお茶にできることは小さく、お金や物みたいに、決して目に見えるものではないけれど、或るときは、擦り減ってささくれ立った心に、じんわり沁み込んで、さあ、明日もがんばろう。と前に進むための活力となり、或るときは、寄る辺無き心細さを包むことができる。人によって、そんなものは至極些細で、取るに足りぬよな事柄なのかも知れないし、或いは、燃料や一斤の食パンの方が、ずっと重要なのかも知れないけれど。


ふと、こうしてここに居る私たちは、何だか小屋守みたいだな、と思う。憩いの灯火が途切れないよに、この小屋を守る番人みたいなものなのかな、と思う。

*1:でも、どちらの小包にも、オーボンヴュータンのお菓子が入って居たのは、本当に偶然でびっくり!!

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