|雑記|
三十路も半ばを過ぎてからと云うもの、物欲への冷静な距離の取り方がすっかり身に付いた気がする。あれも欲しい是も欲しい、とは想わなくなった。
懐具合云々も勿論在るけれど、つまりは、自身の 「身の丈」 を知ったと云うことか。安物買いの銭失い*1は、若い時分こそ散々としたものだが、失敗も多ければ学んだことも多く、それが愚行であることに早く気付けたのは、幸いであると想う。また、見栄っ張りの銘柄買いだとか、分不相応な品に大枚を注ぎ込むなどと云うのも、同様の銭失いと考えて居る。何れにせよ、己の身の丈を知ってさえ居れば、とんちんかんなお金の使い方をせずに済むのだ。
必ずしも安いから悪くて、高いから良いと云うものでも無い。安かれ高かれ、モノの良し悪しを見極めた上で、きちんと考えて買う。後々になって後悔しないか。ゆくゆくは始末に困らないか。何より、自分自身に相応しいものであるのか。熟考を待たず、瞬時にぴたりと直感の訪れることがたまに在るが、是も又、大切に培うべき感覚であろう。
モノを見る眼、モノとの付き合い方は、そのままその人の人生観、人となりへと通ずる。幾ら高級品で身を固めても、その人自身がそれに相応しくなければ、ちいとも素敵に見えぬだろうし、たとい身支度が地味であっても、その人自身が素敵であれば凛として好ましく見えるに違いない。*2
己の身の丈を知ることができたら、モノ選びやお金の使い方に、必要以上の慎重を強いる必要など無い筈だ。失敗や後悔を繰り返しても、過ちに気付ければ御の字、後は自然と身に付いてゆくものと想うし、物欲とも程好い距離が取れるものと想う。
とは云え、心と人生に潤いをもたらす、たまの愉しい衝動買いや、ささやかな無駄遣いは是に別、としたいところである。