双六二等兵

ポッケにさすらい 心に旅を 日々を彷徨う一兵卒の雑記帖

ぽつねんと

徒然|| |回想|


一足のトレッキング靴に関する思案から、こうして遥々と記憶を辿るなど、正直考えもしなかった。ここ数年は、暫く山から遠ざかって久しいのだが、思えば私にとっての自然とは、いつも山であったのだった。
初めての山は学校に上がる前。毎春と秋、山菜採りの祖母らに連れられ分け入った山、だったと記憶して居る。たかが山菜採りと侮る無かれ。この山が意外にも険しかったのだから、当時の祖母らは相当の健脚だったのな。それに若き日の父が山男であったことも、決して切り離せない。父の古いアルバムには、ぼんやり色褪せた、又、ときには白黒の、学生時代と思しき登山姿の写真が数多く残って居るし、未だ赤ん坊だった私を背負子に乗せて撮った、湿原や山の上の写真なども幾つか見付かる。冬山でのスキーは、何故だか余り好きにはなれなかったが、それ以外の季節を山で過ごすのは、とても好きだった。
小学四年生の頃。隣町のガールスカウトに入団したことで、夏山の愉しみに一つ、野営が加わった。ここでの野営とは、世俗から離された自然の中での、云わば、厳しい訓練のよなもので、しかしそれ故に心惹かれたのだろな、と想う。設営に難儀したテントは、ずっしり重くて古めかしい旧式の帆布製で*1、骨組みも組立て式のごつい鉄パイプであったし、竈からそれこそトイレまで。予めお膳立てされたものの一切無い中で、全てを自分らで拵えて、必要とあれば、その場で部材も調達した。だからなのだろか。今でも 「キャンプ」 だとか 「アウトドア」 と云う言葉には、どうもしっくりできないで居る。
こうした野営や登山など。自然の中での野外活動には大いに積極的だったものの、やがて学年が進むにつれ、リーダーシップやら何やら、他にも様々な技能を求められるよになると、些か居心地の悪さを感じるよになって、徐々に足が遠のきがちになった末。ガールスカウトを退団したのは、確か、高校に上がった頃であったかと想う。それ以降、積極的に山へ出掛けるよな機会は、随分と減ってしまったが、幸い近くに二つ。軽登山向きの低山が在るもので、殆どが日帰りとは云え、新緑や秋口など、季節の良い頃になれば弁当を拵えて。しかしながら、それもまた次第に遠くなってしまった。
テントの中に。山の上に。独り。ぽつねんと膝を抱えて居ると、色々なことが巡ってきて。寂しいと云うのじゃない。こんな安らかな、孤独。けれども、自然の、果ての見えない大きさの中に、人の小ささを、ふと感じるときが必ず訪れて、怖くなる。途方も無い、大きさ。途方も無い、畏れ。人はただ、その庭先のほんの少しを間借りして居るだけで、大きな顔してはいけないのじゃないか、と。
嗚呼。そんな心持ちには、もう随分と遭って居ないなぁ。

*1:いつだかの 『クウネル』 によれば、現在もこのテントは変わらぬのだとか(笑)。今やここか自衛隊だけ、と云う代物らしい。

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