双六二等兵

ポッケにさすらい 心に旅を 日々を彷徨う一兵卒の雑記帖

大人乙女先生

|回想|

小学校の頃、学年にY先生と云う女の先生が居た。担任の他には、学童コーラスも担当して居たよに想う。Y先生は確か、私の母より少し上であった筈だから、当時で三十代後半くらいだっただろか。服装はいつも、トレードマークのベレー帽、白い丸襟のブラウスに、ふんわりしたロングスカートやジャンパースカート。冬場だと、ベレー帽はモヘアだったり、自分で編んだ手編みのカーディガンやセーターを着て居た。フリルやレースは余りあしらわず、色味は茶色やベージュがかったピンクが多かったと記憶して居る。Y先生が有名だったのは、この、凡そ少女趣味な服装からでは無く (それも手伝って居たのは確かだけれど)、教師としては致命的な、或る特徴を備えて居たからであった。
Y先生は極端な「あがり症」であった。集会や朝礼などで、先生の担当部門でのお知らせが在ると、決まって挙動不審におどおどし始め、声が震え、どもってしまって話にならない。酷いときには、極度の緊張からか、立ち眩みを起こし、一同に失笑をかうこともしばしばであった。授業参観も同様であったよで、よくもあれで教師が勤まって居たものだ、と今更ながらに想う。私は一度もY先生に教わることが無かったから、詳しいことは分からなかったが、生徒や父兄らは勿論、職員室でも奇異の目で見られて居たであろうことは、容易に推し測れる。
Y先生とは、一度だけ話をしたことが在った。確かあれは五年生の夏の日で、誰かの悪戯で花壇の一部が踏み荒らされて居たのを、Y先生が麦藁帽かむって、一心不乱に直して居たのだった。通り掛かった私は、Y先生がひどく気の毒に想えたものだから、一緒に手伝ったのだけれど。そのときのY先生は、朝礼のときのよに、どもったりおどおどしたりせず、けれども小さな声で。「誰がどうしてこんなことするのかしらね。花を見て、嫌な気持ちになる人なんて居ない筈だのにね。」 私とY先生は、未だ根っこに土がついて居る花や、茎が折れてしまった花を、丁寧に植え直した。
数年前のことだったか。ひょんなことからY先生の話が出て、隣街から通って居たことや、特徴的な服装について触れた折、同じく隣街に住まうAちゃんが、以前より頻繁にY先生を見掛けて居たことが分かった。バスで一緒になることも度々だったと云い、いつもかあいらしいなりをして居る人だなぁ、と想って居たらしい。Y先生はずっと変わらず、隣街に住み、車も免許も持たず、昔と同じ佇まいして暮らして居たのかぁ・・。年齢を考えると、六十も半ば頃。教職を退いてから、今は何をして居るのだろか。知る人の話だと、ずっと独身を通して居ると聞く。
今なら、私はY先生を笑ったりしないだろ。先生は人よりもずっと繊細で、ずっと傷つき易かっただけだ。服装だって、昔のお洒落な女学生みたいで素敵だった。少女がそのまま、歳をとってしまっただけ。教職が向いて居たとは、決して云えないかも知れないけれど。

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