双六二等兵

ポッケにさすらい 心に旅を 日々を彷徨う一兵卒の雑記帖

ポケットの中の一篇の詩

|本| |回想|

盛岡のミニコミ誌『てくり』*1が届く。
第5号には、先頃再刊された立原道造の「盛岡ノート」にまつわる記事が。「京都カフェ案内」の著者、木村衣有子氏が道造の足跡を辿る内容だった。他の号にも、素敵な話や喫茶店、ホームスパンの工房などが取り上げられて居る。所謂、良く在るミニコミ誌のイメエジとは大分異なって、とても洗練されて居り、尚且つ手作りの良さと、郷土に対する温かい眼差しが、やわらかに感じられる。大きさや紙質、雰囲気などは、大橋歩さんの個人誌『アルネ』にちょっと似て居るだろか。こう云う雑誌が作れるのも、盛岡と云う文化的な土壌が在ってこそ、かも知れない。何とも羨ましい。
盛岡へ出掛けたのは、もう随分昔のこと。高校生の頃、夏の家族旅行で花巻に行った際に寄ったかと、記憶して居る。鮮明な記憶は無いけれど、何となく、川が流れて居たことと、古びた良い風情の商店街などをぶらついて、小さな喫茶店でアイスコーヒーを飲んだのを覚えて居る。花巻では、宮沢賢治の記念館と、高村光太郎の高村山荘へ寄って、じっくりと岩手の旅情を噛み締めた。思えば若い頃は、家族と行ったのやら一人旅やらも含めて、文人・詩人ゆかりの地を訪ねたものだ。
高校生の頃だったか。冬休みを使って、群馬は前橋に、萩原朔太郎を訪ねて一人旅に出掛けた。丁度雪の降る頃で、ひどく寒かったのを覚えて居る。朔太郎の直筆原稿や初版本などの展示室の在る、図書館へと出向いたが、たまたまその日が休館日で、がっかり打ちひしがれて居たところ、中に人の姿が見えたので事情を説明し、何とかなるかしら、とお願いしてみると「雪も酷くなってきたことだし、今日だけ特別ですよ。」意外にも、短時間ながら閲覧の許しを得ることができ、人情の温かさに触れることができた。泊って居たビジネス旅館のおかみさんもとても親切で、この前橋への旅を思い出すときはいつも、人情と雪の風景が切り離せない気がする。
また、ぶらり途中、高瀬川沿いでバスを降り、何気無く渡った小さな橋の向こう側の、古びた文房具店の趣き在る佇まいは、雪の情景と密接に溶け合って、とりわけ忘れ難い記憶として残って居り、足が引き寄せられる、と云うか、見過ごせぬよな不思議な磁力が在って、ふと気付くと、雪を避けるよに、自然とドアをくぐって居た。鉛筆の匂いと墨汁の匂い。柱時計のカチコチと静寂。何を買い求めたのかは、残念ながら覚えて居ないのだけれど。
そう。高校の卒業旅行も在った。皆が若者らしい場所へ行く中、文学少女の友人と連れ立って、伊豆は伊東と修善寺に逗留し、天城峠を歩いたり文学館へ立ち寄ったり。とりわけ修善寺では、宿から眺める景色と時折の春雨も手伝ってか、若年寄の旅心に、静かな情緒を残したのではなかろか。
目的を持たぬ旅が素敵なのは云うまでも無いけれど、文学を訪ねる行程が在ると、元・文学少女としては、やはり愉しい。

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