双六二等兵

ポッケにさすらい 心に旅を 日々を彷徨う一兵卒の雑記帖

コートのポケットから眺めた風景

|日々|


夜八時をまわった頃。お客さんの引けた後の
少しばかりの余韻を残しつつも、ひっそりとした
二階の客席に腰掛け、本を広げて
帳面に覚え書きをして居た。するとどうだろう、
今更ながら、色々なことに気付く。
天井のスピーカからきこえてくる音楽に混じって、
カチッコチッと、規則正しく
リズムを刻み続ける、律義な秒針の音。
帳面の上、私自身の走らせるボールペンの音。
階下よりふんわりと漂う、珈琲豆の匂い。
古びた本の持つ、妙に安らぐ紙とインクの匂い。
それら全てが、とろりと溶け合ってつくりだす、
憩いという色の喫茶時空。
自分の店でありながら、普段は座ることの無い
この一角の客席に在って、ひとり私は
それをあたかも、自分の書斎のように感じる。
ずっと以前から、こうして使ってきたかのような、
それは一種の錯覚。
はて、或る日この場を訪れて
ここに座った誰かさんもまた、今の私と同じような
こんな気持ちになったかしら…。
誰も居なくなった店内で、
Pale Fountainsに耳を傾けながら、時折
少し冷めてしまった珈琲を、一口飲んでは
再びペンをとる。
この場所は、私の喫茶店であり、
ここを訪れる、誰かさんのための場所でもある。
私にとっても、誰かさんにとってもそれは、
ある時には書斎となり、応接間となり、
隠れ家となり、または憩いの場ともなる。
さて。こうしてまた私は、喫茶店という名の
奇妙な磁場を持つ、奥深き袋小路へと入り込み、
なかなか見付からぬ出口を、幾度も探し始めるのです。
しかも、自ら好き好んで。
なんてことに思いを馳せて居たらば、
ドアが開いて、お若い娘さんがひとり。
いらっしゃい。今夜この場所はあなたにとって、
一体、何となるのでしょう。

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