双六二等兵

ポッケにさすらい 心に旅を 日々を彷徨う一兵卒の雑記帖

授かりもの

|徒然|


人の好意で間借りして住まわして貰って居る所を
わざわざ 「掘っ立て小屋」 と呼んだりだとか。
先立つものが無くとも、所謂 「錬金術」で拵えた
お金で汽車の旅に出掛けては、しらばっくれたり。
外食の席で、ようやっと出て来た皿を口にするも
「何だかこれ、ゲロみたいな味ね」と云ってみたり。
ともすれば、その場に猫嫌いが居るかも知れぬのに、
「猫を好きじゃない人は、皆、馬鹿よ」などなど。
仮に我々普通の人間が、是に同じであったなら、
ほぼ間違い無く、傍の人の眉を顰めさせたり、
お叱りを受けたり。或いは只の変人だと想われるのが
世の常であろうけれども、至極、僅かに。稀に。
それをまん丸と許される人、と云うものが在る。
例えば百けん先生だとか、武田百合子さん。
フジコ・ヘミングさんなどは、人徳と云うのとも違う、
何か天衣無縫な、手付かずの無垢な子供みたいな
所が在って、それがあんまり無作為で、あんまり自然で
あるから、何を云っても、何をやっても。傍の人たちからは
「この人なら、仕様が無いよなぁ。」と許されてしまうよな、
特別な授かりものを持って居る、特別な人種であるのだと、
羨望の中にしみじみ想うのである。何故だか周りは一様に
「全くかなわんなぁ、この人には。」 だとか
「仕方無いなぁ、この人は。」 と云う風になって、
只の偏屈な因業じじいともならず。只の突飛で変なおばさんとも、
おっかないばばあともならず。「この人だから」 と云う、
まこと不思議な理由の内に、平和にまん丸と収まって
しまうのだから、何とも実に、羨ましいではないか。
アァ、早くそう云う人になってしまいたいものだ、と
常々想って居る訳なのだけれど、是ばかりは己次第で、
いつとも、どうとも知れぬものだからなぁ。
はて。私は授かれるだろか・・・。

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