双六二等兵

ポッケにさすらい 心に旅を 日々を彷徨う一兵卒の雑記帖

魔の季節

|回想|


お客の会話に聞き耳をたてて居る訳では無くとも、意図せぬところで漏れ聞こえてくる会話と云うものが在るから、それはそれで仕方が無い。昼下がり。お客の去った卓を片付けて居ると、その隣の歳の頃四十に届くか届かぬか、或いはやや過ぎたか、と思しき男女の二人連れが、こんな話をして居た。


: 「大学の頃がいちばん愉しかった〜!ボディコン着たりとか、サークルでスキー行ったり、その時つきあってた彼と、苗場にユーミン観にいったりして。」
: 「そうそう、俺も!もう遊んでばっかで。」


ふうん。察するに、彼らが大学生だった頃と云うのは、実におめでたい時代*1であったのだな。女性の右の頬には至極小さなケロイドのよな傷が在って、厚ぼったい化粧の下、無愛想に隠れて居た。その傷のせいか否かは知らぬけれども、物云いがやけに高圧的で、髪型も服装も何処かしら、自分の若い頃を引き摺って居るよな、些か強引なところが在る。何故だか妙に気が滅入って、そそくさと盆を下げ帰った。丁度、母方のM叔父が来て居たので、何とは無しに聞いてみる。叔父ちゃんの頃の大学生って、どんな風だった?
「そうだなぁ。俺らの頃は、大学に行く奴らは特別だった。今みたいに、誰もが大学に入るよな時代じゃなかったから、高校出たら働くのが普通で、俺も親父の仕事手伝ってたしな。でも、今どきの大学生なんかと比べたら、ずうっと大人に見えたなぁ。ずうっと大人だった。それに、俺が二十歳になるかならないかの頃、安田講堂の事件が在ったんだ。ゲバ棒なんか持ってさ。角材。俺らの時代の大学生は、そんなだったなぁ。」
全共闘かぁ・・・。私の学生時代は、当然ながらゲバ棒もヘルメットも既に遠く、かと云って、先程の男女のよに、おめでたくも浮かれた時代の通り過ぎた後だった。宙ぶらりんの世代。大学へは、付属の高校から進んだ。エスカレータ式では無かったから、一応の面接や試験は在ったにせよ、できた筈の努力をせず、結局は、最も楽な方法を選んだ自分を、心底呪った。田舎のぬるま湯の園に通う学生が抱えて居たのは、安っぽいファッション誌だの情報誌なのであって、サルトルバタイユも。ケルアックもギンズバーグも。荷風安吾も澁澤も無かった。*2サークル活動なんざ、興味も加わる気もさらさら無かったが、仕方無しに、無理矢理見に連れて行かれた軽音部は、暑苦しいディープ・パープルとツェッペリンもどきばかり。ニール・ヤングはおろか、其処にはニック・ドレイクもドノヴァンも居らず、同じよにして連れて行かれた写真部にも、当然、ブレッソンは居なかった。尤も、そんなことは当たり前で、端から分かって居た訳だけれど、これを選んだのは誰あろう、己自身であると云う矛盾への、蒼くさい苛立ち。渋カジ全盛(笑)の最中に、草臥れたよれよれの浮浪児みたいな格好で。徒党に加わることを避け、努めて遠い人であるよに心掛けて。とは云え、高校時代からの同級生の中には気の良い連中も居たから、人付き合いはそれなりに在ったにしろ、それでもやっぱり、向うから寄って来られると煩わしく。僅かに友人と呼べる者(大抵は大学の外だった)を除いては、ひたすら、孤独なレジスタントに徹したのではなかったか。
生まれる時代を間違った。或る時期までは、そんな風に考えたことも在ったよに想うが、まぁ、間違ったと云ったって、それでどうにかなるものでも無い。己の無知だの浅さだのには目を向けず、誰も彼もが馬鹿と想えた傲慢は、未熟の過ぎた、若気の至り以外の何物でも無かったろう。頭でっかちで。可愛気の欠片も持ち得ず、闇雲に捻くれて。不可抗力にわざわざ抗って。一体、何をしたかったのか。何になりたかったのか。そもそも、どうしてあんな風に、頑なになれたのだろ・・・。あれは確かに、魔の季節だった。でも今。こうして大人になってみると、あの頑なさがちょっとだけ、懐かしい気もする。

*1:W浅野なんかの時代ですな、恐らく(笑)。

*2:そう云う私も大して読みませんでしたから、大きな口は叩けません(苦笑)。

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