双六二等兵

ポッケにさすらい 心に旅を 日々を彷徨う一兵卒の雑記帖

不毛と知りながらときに傷付きまた進む

|徒然|

いつの頃からだろか。自分のして居ることや考えて居ることなどに対して、人から尋ねられたりするとき、多くを語ることを避け 「いや、何でもありませんよ。」 と云った風に済ますよになったのは。
勿論、訳知りの間柄が相手であったり、分かってくれそな相手は別としても、大抵の場合、正直に答えて傷付くのは自分自身であるので、いつの間にか、答えをはぐらかして、するりと身を引く術を身に着けたのかも知れない。かと云って、こちらがするりとかわしても、ズカズカと踏み込んで来る相手も居るので、そんなときはただ、ニコリ相槌を打ちながら、一時の煩いの去るまで、じっと待つ。つい先日も、手作りの前掛けを掛けて、いつものよに仕事をして居ただけなのだけれど、ポッケの綻びに継ぎあてた端切れを見た人が、苦笑いして云った。 「そんなにしてまで使わなくたって、幾らでも新しいの買えば良いんじゃない?」
車も免許も持たぬことが、全く信じられないと大袈裟に騒ぐ人。何処其処へ行きたいなぁ、とうっかり口にすれば、どうしてそんな所へ行きたいの?何を買いに行くの?どうしてハワイじゃ駄目なの?次から次、矢継ぎ早の質問攻めにする人。無駄の少ない暮らしを心掛けて居ると知れば、何が愉しくてわざわざそんな不便なことを?と呆れる人。などなど。そんなとき、私はつい、こう尋ねたくなってしまう。
あなたは何故、レジ袋を断らないのか。何故、偽物と分かって居るのに、ブランド品の財布を持ちたいのか。何故、ものを選ぶとき、流行って居るからと云う理由だけで選べるのか。何故、歩いて2〜3分の所へ、わざわざ車に乗って移動するのか。何故、旅行と聞くと、山程の買い物が目的だと想うのか。
恐らく、彼らに悪意は無いのだ。彼らも含めての大多数の人々の間で、それが一般的、と思われて居る価値観からちょっとズレてしまって居るもの、違って居るものへの理解や寛容が足りないだけ、なのかも知れない。ただ、日々を丁寧に送りたい、と思ってして居ることが 『変わって居る』 の一言で片付けられてしまう。それらを無知、と呼ぶのは簡単だけれど、たとえ悪意が無いとは云え、無神経な土足の好奇心は、ときとして、相手を傷付けることが在る。私はそれに、もう慣れたのだろか。

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