双六二等兵

ポッケにさすらい 心に旅を 日々を彷徨う一兵卒の雑記帖

ちんちくりん

|回想|

今朝は早くに目が覚めたこともあり、身支度に割く朝の時間に、いつもよか余裕が出来たので、とりあえず…と云う億劫も無しに着るものを選ぶ。芥子色のとっくりセーターの上に、青っぽい小花柄でフレンチ袖のプルオーバー。ヘリンボーンツイードのハンチング帽と、馴染みのジーンズで仕事に出掛け、いざ、花柄の前掛けエプロンをつけたところで、何気無しに覗いた姿見に写る自分を見て、咄嗟に独り言ちた。「あ。ちんちくりん。」
ちんちくりん。この言葉が共通言語であるのか、それとも、私たちの地方だけの言葉であるのかは、どうも良く知らないのだが、幼い頃、例えば、水玉柄のスカートに花柄のブラウス、と云うよな組み合わせの服を着ると、祖母だの母だのは、決まって「またそんな、ちんちくりんな格好して。」と、溜息顔して云い云いしたものだった。どうだろう、ニュアンスとしては「とんちんかん」或いは「ちぐはぐ」辺りが近しいのだろか。何れにせよ、柄物に柄物を合わせるとか、奇抜な色を着るとか、そんな風のが、所謂祖母らの云う「ちんちくりん」であったのは間違い無い。
たまに祖母の着物姿を目にして「ばあちゃんだって、柄と柄。ちんちくりんじゃないか。」と私が突っかかると、祖母の答えはいつも「馬鹿だねぇ、着物は別なんだよ。」であったし、母が柄物のワンピースに柄物のスカーフなど合わせたりするのを、そらきた!と詰め寄れば「柄物にも、おかしいのとそうでないのが在るから、これは良いの。」と返されて、そんなもの。大人のずるい云い訳じゃないか。一体誰が決めたのやら、法律と云う訳でも無し、フン、おかしなものだ。と、幼い私はいつも口ばかり尖らせて居たよに思う。
そう云えば、私が四つか五つの頃の話に、こんなことが在ったと何度も聞かされた話が在る。母は地味好きだったために、私が着せられるのはいつも紺だの緑だの、男の子みたいな色の服ばかりで、柄物と云えば、我が家ではチェック柄を意味した。或る日、横浜から訪ねて来た叔母に連れられて、当時街で一軒きりの大きな衣料品店に出掛けた折、叔母の「好きなのを選んで良いよ。一つだけ買ってあげる。」との言葉に、私は迷うこと無く「これ!」と云って、それこそ目のチカチカするよな、ショッキングピンクの吊スカートを手に取ったのだそうだ。後々になって語る際、母らはそれを「ファッションの第一反抗期」と云って笑ったが、家に着くなり包みを開け、嬉々としながら早速にスカートをはく姿に、母も祖母も、そして当の叔母でさえも、呆気にとられて言葉が出なかったと云う。さらに具合の悪いことに、それから暫くの間と云うもの、私は毎日のよにそれを着て保育園に通っては皆を呆れさせた。尤も、あんまりにもそればかりを着すぎたために、日々の洗濯の度に色褪せて、その内薄らぼやけたピンク色になる頃までには、私のピンク熱もすっかり治まってしまったらしいが。
しかし、たまにこの話を持ち出されても、当の本人である私に残って居るのは、そのスカートをはいて写った幾枚かの写真の記憶だけで、皆の云うところの、熱にでも浮かされたよな、ちんちくりん色への短い間の執着など、殆どと云って良い程覚えては居らず、その度に、何とも妙な心持ちにさせられる。幼い、ちびっ子ファッション反逆児。
三つ子の魂百までとは、昔の人も良く云ったものだなぁ、と心底感心することしきりなのだけれど、そうで無ければ年頃になってから今現在に至るまで、私が好んで選ぶのが、大抵は紺だの緑だのチェック柄だと云う事実は、果たしてどう説明がつくのだろか。考えれば考える程、全くおかしなものだ。それでも近頃では、地味の範囲内ではあるけれども、なるべく明るい色味を意識的に合わせたり、花柄にも愛着を感じたりして居る。朝出勤して、Aちゃんは開口一番「あれ?今日は何だか、かあいらしいんじゃない?」と云ってくれたが、そのやり取りをちらり見た母は、やはりこう云った。「でも何だか、ちんちくりん。」
これから先も恐らくずっと、私は「ちんちくりん」から抜け出せないのだと思う。

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