双六二等兵

ポッケにさすらい 心に旅を 日々を彷徨う一兵卒の雑記帖

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気が付いたら暦はもう十二月に入ってしまった。そろそろ、紅葉だの何だのが終いになった山の木々に、何気無く注意を向ければ、赤茶けた葉のすっかり落ちて、寒々しくも凛とした冬の木立ちの姿が、ふわり頭に浮かんでくる。昨日より石油ストーブに火がともり始めたので、薬缶の口から白い湯気のシュンシュンと音をたてるのを近くに聴いては、ただぼんやりと眺めて居るのが、ひっそりとした日曜日の午後と云うのも、この節の日々の過ぎゆく早さ同様に、ひどく気後れを誘う要因だろか。
今日に限った訳でも無く、するべきことが見付からない、いよいよ手持ち無沙汰にも飽きてきたな、と云うときなど、ふと手に取ってしまう一冊に、北野佐久子の『イギリスのお菓子』と云う本が在る。この仕事が始まる以前からの付き合いだから、もうかれこれ十数年来手元に在って、使い込まれたその表紙も今となっては、元がどんな色だったのか、すぐには思い出せない程ボロボロで、小口も中身も、目いっぱいついた手垢やらバターの染みやらのせいで「年季入り」と云う言葉がぴったりに、すっかり草臥れてしまったのだけれど、その年季の入り具合を見るにつけ、私とこの本の間の親密さを改めて感じ入ってしまう。
ここに収められたお菓子たちは、どれも皆素朴で、至極ありふれたものばかりなのだが、英国のあれこれに詳しい著者が現地で覚えたレシピが、味にしろ見た目にしろ、変に気を利かせて日本人向けにアレンジされては居らず、其々のお菓子にまつわるお話やらエピソードやらが、著者自身の手による控えめな写真と共に綴られて居るのも手伝ってか、数多の単なるレシピ本とは異なる趣きであるのが、私の気に入って居る所以かも知れない。
随分と昔の話になるけれど、ロンドン郊外、ワトフォードと云う街の外れの方、古民家風情の気取りの無いティー・ルームで出されたスコーンは、それこそゲンコツ程もある大きさで、それに合わせてか、たっぷりのクロテッド・クリームが添えてあった。それを皆、ナイフなど使わずに手でざっくりと割ったところに、クリームだのジャムだのを好き好きに乗せて、是また、たっぷりのミルクティーと一緒に食べて居たのを思い出す。こと日本では「ケーキ」と云うと、生クリームや果物を使った、所謂デコラティヴなものを好む傾向が強いのではなかろか。けれども私は、イギリスの素朴な焼き菓子だって、見目こそ茶色で大層地味だけれども、派手さの無い分、何とも云えず味わい深く、しみじみとした美味しさが在るとも思う。
お馴染みのスコーン、ショートブレッド、オーツ・ビスケット…。特別で高価な材料を使う訳でも、飛び抜けた技術が必要な訳でも無い、何処か懐かしい風情を漂わす焼き菓子たち。作り始めた昔の頃と比べたら、随分とレシピの増えた今でも、この本の中のお菓子たちは、我が店の小さなガスオーブンの中で、度々こんがりと焼かれて居る。


イギリスのお菓子

イギリスのお菓子

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