双六二等兵

ポッケにさすらい 心に旅を 日々を彷徨う一兵卒の雑記帖

|徒然| の検索結果:

A cup of coffee

|徒然| U社とは開店以来ずっと、珈琲豆を主として、資材や食材などの仕入れで付き合いを続けて居る。神戸に本社を置くU社。関西では圧倒的なシェアと聞くが、こちら関東となると、同じ珈琲会社でもK社を使う店の方が多いから、この辺りでU社の珈琲を出す店は少ないかも知れない。 担当営業は幾度も変わったけれど、現在のT君は、その中でも一番長い。もう四年程になるだろか。実家が隣町と云うのでこの辺りのことに詳しく、またアライグマのよな、ずんぐりころんとした風貌も、快活で朗らかな人柄も親しみ易…

十一月の家

|徒然| 母方の祖母が骨折のため入院して居ることは、少し前に書いた。途中、持病の糖尿病の影響も在って、軽い肺炎を起こすなどして身内を心配させたものの、現在は食事も摂れるよになって、緩やかながら回復へ向かって居る。七十を過ぎてからの祖母は、自転車で転倒した後遺症で左半身の自由が利かず、年を経るごとに段々と固まって、今では僅かに動かせる程度。十年程前に夫と離縁して出戻った末娘のH叔母が同居して居り、七年前の大晦日に祖父が他界して以来、母娘の二人暮らしとなった。 骨折の経緯は、丁度…

See you soon

|徒然| 昨年の春。約十年ぶりの再会を果たした、倫敦在住の”アメリカの友人” D(■)から 「また日本へ行くよ」 そう連絡を貰ったのが数ヶ月前。 それから幾つかのやりとりが在って、今年再び逢えることとなった。以前にも書いただろか。私たちは十程歳の離れた友人であり、また同時に、歳の近い叔父と姪のよな間柄でもある。知り合ってから十四年。密に連絡を取り合って居た訳ではなくとも、何故だかずうっと何処かで繋がって居る、得難い友人。そんな彼が現在ドラマーとして加わって居るバンドが、今月の…

細波

|徒然| 人が生きて居る間には、幾度かの”転機”と云うのが訪れる。向うからひょいと舞い込むことも在り、或いは、何かの節目で自らが拵えるべきときも在る。何れにせよ、その先の人生に深々と関わる、大切なきっかけ、手懸りのよなものかも知れない。今までの自身の身の上に考えてみると、恐らく転機は二度在った。 一度はこの仕事に身を置いたとき。その次は、今現在の店を構えることを決めたとき。その二度共が、ひょいと舞い込んだきっかけに、こちらが心づもりを決めて腹を括った、と云う形だろか。想えば、…

Blackhole Sun

|徒然| |回想| 子供の頃、日食を見た。 叔父の工場から、自分の顔の倍もあるでっかい溶接用のマスクを借りて空を見上げると、何やら黒いものの被さったお天道様が、深緑の濁った板越しに、確かに在った。初めて見る日食だった。その日見た日食がどうにも忘れられず、学校の図書室で図鑑を調べてみると、何十年かに一度。すっかり太陽に重なってしまう 「皆既日食」 なる現象の在るのを知った。実に愚かしくも他愛無い間違いだが、その頃の私は”皆既”を”怪奇”なのだと想って居り、けれどもそれを疑いもせ…

紙の上

|徒然| 製図用紙に描かれた一枚の平面図が手元に残って居ます。ずっと昔、未だ借り物の店舗で珈琲を淹れていた頃に、予定もあてもないまま、ただ愉しみのためだけに描いたものですが、作り付けの棚の寸法や家具の配置などのスケッチも、こまごまと描かれてあります。 当時の大家さんと云うのがとても変わった人でした。こちらが何をせずとも、いわれの無い云い掛かりや難癖に困らされ、そうかと想えばころり態度を変えたり、何かとあちらの奇行に振り回されてばかりで、心身ともに辟易して居た頃だったよに想いま…

いつもなら僕は汽車に乗るのが好きなんだ。ことに夜の汽車が。

|徒然| |本| 季節に、日々に。 挨拶に交わす天気の話などと云うのは、 くだらない、つまらない。と云う人が在るけれども、 果たしてそうだろか。確かに、天気の話は当り障りの無い 話題として口にし易く、故にありふれて聞こえるから、 それを聞き指して、つまらぬくだらぬと云う人たちの 心中は満更、分からないでもない。一体、歳若い頃の 私自身がそうであった筈ではなかったか。 天気の話などして、深刻に受け取る者など居やしない。 芸の無い、ただの使い古されたご機嫌伺いじゃないか、と。 し…

鬼っ子のシニシスト

|徒然| 想えば、昔からずっとそうだった。 気立てが荒っぽくて、粗雑でがさつで。 不精のくせに、おかしなところで意固地で。 女の子らしいのが苦手で、*1独立心だけはいっぱしで。 口が悪くて、皮肉屋で、小賢しい。所謂、鬼っ子が 可愛気の欠片も持たぬまま、こうして大人になった。 幸いに、人から嫌われると云うのは殆ど無いけれど、 気落ちしたところで心配されただとか、優しい言葉で いたわられただとか云うのも、何だか記憶に乏しい。 恐らくは皆、普段の言動だの振舞いなどから推測して、 こ…

続・女の着物

|着物| |徒然| さて。昨日(→■)の続きである。 着物の醸す女の情緒*1は、昨今流行の過剰な露出至上主義とはまるで対極に在るもので、隠し重ねることでこそ生まれる、我が国ならではの美意識と云えまいか。 着物の所作の端々で仄かに覗く ”チラリズム” の効果については、幸田文も饒舌に述べて居る。それはときとして、首筋や踝と云ったところの肌そのものであったり、袖口から覗く襦袢の色であったり。また、夏の簾越しに見る、ものの美しさにも通じて居る。 すだれのかげにいると、誰でも実際より…

鳶の家

|徒然| 父方の祖父が逝った。連れ合いであった祖母が先に逝ってから、四年目の春。 祖母もいい加減寂しくなって、ぼちぼち、祖父を呼んだのかも知れぬ。先週催された入所先の施設の花見で、甘酒を大きなコップに四杯と、饅頭などの茶菓子、弁当をぺろりと平らげ、それが生憎に祟ったのか。急性の軽い膵炎を起こし、一時入院して居たのだけれど、十九日の朝。眠るよにして、静かに息を引き取った。五月の誕生日まであと少し、享年九十二の大往生だった。 十年程前だったか。敬老会の旅行先で脳梗塞に倒れてからは…

小屋暮らし

|徒然| つまるところ。 理想の住まいは 『小屋』 であるのかも知れない。*1衣食住に事足りる最小限に、幾らかの余裕を加えた程度の。近頃はもう、それで良いのじゃないか、と云う気がして居る。 昔からどうした訳か、居心地の好いと感じられるのはいつも、こじんまりと簡素なしつらえの、小さな空間なのであって、間取りが凝って居たり、あんまり広々した所だったりすると、かえって身の置き場に困ってしまって、どうも落ち着かない。それは今でも変わらないのだが、はて。何故、小屋なのか。 広さや大きさ…

苦い憧憬

|徒然| 男であるとか女であるとか、若いとか年寄りだとか。物事を性別や年齢で推し量ったりすることは、殆ど無い質であるけれど、時折ふとしたところで、女であることの不便さを感じることは在る。*1 役割だの身体的なことだのと云うのでは無くて、行動や嗜好の制限、とでも云えば良いか。何しろ、私の嗜好はどちらかと云えば男性的であり、只ぶらぶらと徘徊するのも好きだ。按配の宜しい街並みや路地などを知れば、そこはつい、ふらりとやりたくなってしまう。別段、怪しい者と云うのでも、おかしな企みを隠し…

授かりもの

|徒然| 人の好意で間借りして住まわして貰って居る所を わざわざ 「掘っ立て小屋」 と呼んだりだとか。 先立つものが無くとも、所謂 「錬金術」で拵えた お金で汽車の旅に出掛けては、しらばっくれたり。 外食の席で、ようやっと出て来た皿を口にするも 「何だかこれ、ゲロみたいな味ね」と云ってみたり。 ともすれば、その場に猫嫌いが居るかも知れぬのに、 「猫を好きじゃない人は、皆、馬鹿よ」などなど。 仮に我々普通の人間が、是に同じであったなら、 ほぼ間違い無く、傍の人の眉を顰めさせたり…

湯を沸かす

|徒然| 世の不躾や無粋から遠く在りたいものだ、と 常々心に想って居ったところで、自らが仕出かさぬ よに心掛けて居るのは兎も角として、大概が、 不躾や無粋などと云うのは、こちらの都合に関係無く、 いつであれ何処であれ。向こうから勝手にやって来る 類のものであるから、不意に出くわしてしまえば、 やっぱり穏やかでは居られず、いがいがとなって、 くさくさと、やさぐれに傾いてしまうのであるなぁ。 一日の終いに、風呂へとっぷり浸かった後、 ちびちび甘納豆をつまみながら、熱いほうじ茶飲ん…

小さく暮らす

|徒然| 勤めに出て居る訳でも無く、仕事場と自宅とが 余りにも近すぎる上、仕事を仕舞う頃は、もう充分に 夜も遅いから、何処かへ立ち寄ると云うことも無い。 休みの日に出掛けることは在っても、そう度々 他所の街まで足を伸ばすで無し。大概は そこいらをちんまり、出歩いて居る程度で。 そんな風だから、ささやかな懐具合は、 ささやかなりに、どうにかこうにか。 そうして日々遣り繰りした懐から、たまに出掛けた折には、 心惹かれた手仕事の品や、本など買い求めたり。 美味しい珈琲を頂いたり。豆…

父と娘

|徒然| |回想| 小学二年生の頃だったろか。父が留守だと云うので、母と私、弟の三人で、母の実家に出掛けて夕飯を食べ、八時を過ぎた頃家に帰って来ると、留守の筈の家の中には明かりが灯り、父が台所に立って居る。出掛ける予定だったが、取り止めになったのだと云う。フライパンの上には、丁度焼きあがったばかりの餃子が在り 「お父さん、餃子作ったぞ。皆で食べよう。」 と、戸棚から皿を取り出そうとした時、母が一言、こう云った。「出掛けるって云うから、とっくに夕飯は済ませたし、どうして今頃の時…

母と娘

|徒然| 近年 「友達親子(母娘)」 と云うのを耳にすることが多い。文字通り、友達のよな関係の母と娘を指しての言葉である。こうした母親と娘は互いを 「ちゃん」 付けの名前で呼び合ったり、洋服を共有したりもするのだと云うが、はて。これをどう考えたものだろか。一見すると傍目に微笑ましいと思わせるかも知れぬこの関係は、その実、何かがひどく破錠して居るよな気がしてならない。辛うじて、互いの薄皮一枚のみで危うく繋がって居るだけの、実体を伴わぬ関係、とでも云ったら良いのか。元来、母親と娘…

煙草を一本

|徒然| もうかれこれ二十年来、我が家と繋がりの在るAさん。御歳六十五歳、個人で営む電気関係の会社の社長さんで、時折の人生訓話なども面白可笑しく、説教くささがちいとも無くて、どこかスコンと抜けたよな人柄が飄々として居る人。そんな風だから普段店に来た時も、Aさんの話と云うのは、Aさんらしい、何処かに捻りの在るユーモアを交えた話が多い。 それが今夜は、どう云う経緯からだったろか。何かの話題からAさん自身の経営理念の話になった。Aさんが、嗚呼仕合せだな、と感じる瞬間と云うのは、社員…

ワタシと敦子とアツコの旅

|徒然| |本| はじめのきっかけは、何処かの雑誌だか新聞だか、七年ほど前に偶然見掛けた新刊紹介だった。『須賀敦子のミラノ』 。それほど詳しい紹介でも無かったし、確か小さな記事であったと記憶して居るのだけれど、何かに急きたてられるよに、その日の内に注文して居た。元々、永いことイタリアと云う国に惹かれて居たから、それで先ずは気に留めたのかも知れないが、何故だろう。私は必ずこの本を読まねばならぬよな気がした。未だ手にもして居らず、名も知らぬ作家について書かれた本だのに。そもそも、…

寝しなに想ふ

|徒然| 近頃しみじみ想う。歳を重ねることはおもしろい。 老いるとか老けるとか。そう云うことじゃない。 歳を重ねるごとに、浅かった思慮は深くなり、 答えを待つことができるよになる。衝動に流されず、 物事の受け止め方が分かるよになる。確かに、 若さは素晴らしいけれど、己の未熟さや愚かさを、 無防備に露呈してしまう危うさを、常に伴って居る。 私は若さに固執はしないし、若さを取り戻そうとは想わない。 かと云って、今すぐ老成したいとも想わない。ただ、一年一年。 一つずつ、しっかり歳を…

再会

|徒然| Dと最後に会ってから、もう十年以上の歳月が経った。その間は頻繁に連絡を取り合って居た訳でも、互いの近況を詳しく知って居た訳でも無いけれど、それでも何故だか、ちいとも疎遠と感じたことは無くて、いつも何処かで繋がって居るよな気がして。アメリカの友人であり、アメリカの叔父さんでもあるDが、三年前にロンドンへ渡り、そこで小さな家庭を持ち、バンドの一員として日本に来ることを知ったのが、彼が久々によこした一通のメールであったことは、以前に書いたことと思う。(→アメリカの友人 -…

アメリカの友人

|徒然| |回想| 先日いつものよにPCを立ち上げると、現在はロンドンに住まうアメリカの友人より、暫くぶりのメールが届いて居た。ロンドンに越してから結婚した話は以前に聞いて居たけれど、今では既に一児の父となり、なんと来月の末頃、 Farrahと云うバンドのドラマーとして日本に来るのだと云う。突然の知らせに驚いたのは勿論、うわぁ、良いバンドに入ったなぁ、と何だか身内のことのよに嬉しくなる。 その昔、テキサス州オースチンに住んで居た友人Dは、熱心な音楽ファンならその名を耳にしたこ…

不毛と知りながらときに傷付きまた進む

|徒然| いつの頃からだろか。自分のして居ることや考えて居ることなどに対して、人から尋ねられたりするとき、多くを語ることを避け 「いや、何でもありませんよ。」 と云った風に済ますよになったのは。 勿論、訳知りの間柄が相手であったり、分かってくれそな相手は別としても、大抵の場合、正直に答えて傷付くのは自分自身であるので、いつの間にか、答えをはぐらかして、するりと身を引く術を身に着けたのかも知れない。かと云って、こちらがするりとかわしても、ズカズカと踏み込んで来る相手も居るので、…

散歩とシュークリームと炬燵

|徒然| |散策| 昨日の昼過ぎ、粗かた部屋の掃除を終えて身支度。母方の祖母宅が忘年会で出払ってしまうため、一人留守する祖母の世話を夕刻より頼まれて居り、しかしそれまで時間も在ることだし、叔母への贈り物など見繕いがてら、隣り街まで出掛けることにする。思いの外、風は冷たく強く。電車を降りると辺りには、休みに入ったとあって、中高生らの姿が目に付く。 歩き易い裏道を選んで歩く。駅前から少しも離れると、殆ど人に出会わぬ界隈。確かに昼間はいつ歩いても閑散としては居るけれど、それにしたっ…

嗜好の系譜

|徒然| |回想| ここ数年と云うもの 「四国へお遍路の旅に出たい。」 と口にすることの多い父だが、いざ実行に移すとなると、仕事を引退してからでなければ難しいことは、本人も承知して居る様子で、ただし自営業故、勤め人のよな決まった定年が無いために、それがいつとはっきりせぬのが、傍目にはどうも歯痒さそに見えた。しかし、この遍路の旅に友人のIさんも同行の計画である様子から、Iさんが役所を退職する数年後を目処に、どうやら自分も一線を退く心づもりであるのは、周りも薄々感付き始めて居る。…

日々のゆく先に在るもの

|徒然| 近頃、とみに感じること。 我々ひとりひとりの日々の暮しの些細なことが、 実はその先の大きなところへと、繋がって居るのだ、と云うこと。 月並みな物云いかも知れないが、移り変わり激しき 世の経済活動の影に、巧妙に隠されてしまって居る、 環境への悪しき影響や、安価で粗悪な大量生産の 犠牲となる、余りに低賃金の労働力。搾取。*1 今の世。大概のものは、代価さえ払えば難なく手に入り、 楽をしたければ、幾らでも便利に済ますことができる。 けれど、そうしたことの背景を、ふと考える…

街と云う生き物

|徒然| |本| 未だ訪れることが叶わぬとは云え、イタリアと云う国に惹かれて久しいのだけれど、こと、ナポリと云う街は不思議と想う。 古代ギリシアの植民都市と云う古い起源に始まり、貴族的文化と庶民のそれとが同居する矛盾と混沌、聖と悪。幾多の文化の行き交った蓄積の上に、ありとあらゆる多様がごった煮となって、イタリアの都市の中でも、一際の異彩を放って居るよに見える。また「あんな街は大嫌いだ、二度と御免だ。」と云う人と「初めこそ戸惑いはしたが、訪れる度に好きになる。」と云う人の真っ二…

|徒然| 先だって録画をお願いしてあった、BS朝日 『イタリアへ』のテープを頂いたのだが、はて。 どう云う訳やら、番組の半分辺り、丁度 ヴェネツィアのくだりの途中で突然、画面が 別の番組に変わってしまって居た。思うに、 録画中の気付かぬうちの事故と想像する。 前回と云い、今回と云い。私とこの番組とは つくづく縁が無いよな気がしてくる…。 もしかすると、須賀さんがこっそり 「 靴探しを何かに頼ってはだめよ。 自分に合った靴は、自分でお探しなさい。 」 と、知らせたかったのかも知…

冬の入口で拾った散文詩

|徒然| クリスマスを目前に控えた土曜日の、世間の忙しなく動き回る様は、それを「活気」と呼ぶには何かが足りず、むしろ、全てが何処かしら空々しく、そして誰もが闇雲に忙しいふりをしたがって居るよな、居心地悪いよな印象を漂わす。しかし、私たちのこの場所は活気とも、それと良く似ては居てもその実、空っぽの忙しさのどちらとも無縁で、夕暮れ刻にAちゃんのもらした一言「ここだけぽつんと、世界から取り残されちゃったみたい。」が、こんな一日を例える言葉として、私がいつも心に思い浮かべるのと全く同…

ガッティの背中

|電視| |徒然| BS朝日にて、昨晩放送されて居た 『イタリアへ―須賀敦子・静かなる魂の旅』*1 をご覧になった方はいらっしゃるかしら。 私は、BSデジタルの番組を観られる環境に 居らぬため、残念ながら観ては居ないのだけれど、 原田知世の朗読は、きっと、旅するよな映像の 間に間に、静かで穏やかな足跡を、そっと残した ことだろうと思う。地上波にての再放送など、 後々在れば良いのだけれど。 さて。須賀さんのエッセイ『ミラノ・霧の風景』の中に『ガッティの背中』と云うお話が在る。須…

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