双六二等兵

ポッケにさすらい 心に旅を 日々を彷徨う一兵卒の雑記帖

なりたくない

|本| |縷々|


銭湯の女神

銭湯の女神

私たちは確かに物質的に豊かになり、いろんな道具を手にした。道具は私たちの生活を便利にし、他者と関わらずに物事を遂行できる気楽さをもたらしてくれた。道具を手にしたら、それまでに必要だった膨大な時間と手間、つまりプロセスを省けるようになった。プロセスをはしょれるようになったということは、何かを学習する時間を失ったということである。私たちは新しい道具を一つ手にするたび、また一つ、学習し思考する機会を失う。学習しない人は、恥をかかないからいつまでたっても鈍感だ。この社会には鈍感な人たちが増えている。
星野博美『銭湯の女神』より

もうずっと昔に書かれた本だのに、そこに在るのは、
今現在も感じるもの。見えるもの。
そもそも人間なんて、いっとう出来の悪い生き物で、
外見をどんなに取り繕ったとて、その中身は
百年やそこいらじゃ、ちいとも変わりはしない。
気付き易さ、見え易さ、感じ易さを自覚すれば、
傷つくことや口惜しさ、諦めは常について回る。
鈍感になれたら楽かと思うけれど、きっとなりたくないのだ。
だから私は一生、楽できない。
生まれつき、そう云う性分なのだろ。

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