双六二等兵

ポッケにさすらい 心に旅を 日々を彷徨う一兵卒の雑記帖

お金が在ったら

|徒然|


ふと、想う。もし大きなお金が在ったら、自分はどうするだろか。
元来、商いで大きく儲けたいだとか、その手の野望だとかには全く興味が無い。それどころか、むしろ小さく小さく。お金は暮らしに困らぬ程度さえ在れば、それで良いじゃないか、と考えて居るくらいである。


少し前に、世間で云うところの、所謂”勝ち組” ”成功者”と呼ばれるよな人と、そのお取り巻きの人たちに接する機会が在った。未だお若い成功者の人は、一見すると人当たりの良い風だが、何処か腹の底の見えぬ感じのする人で、コンクリートの四角い家を建て、一寸珍しい外車に乗り、珍しい大型のブランド犬を連れ歩き、普段着には高級アウトドアメーカーの服を着るよな、今時の青年実業家*1に多く見られる類いの人である。こんな風に成功する前は、確か平凡な普通の車だったし、派手な振舞いも特に無かったよに思うのだけれど、やはり目付きに鋭い野心のチラと見えることが、時折在った。お取り巻き連も含め、この人たちの振る舞いや話を見聞きして居ると云うと、どうも自分の利益にならぬ付き合いや事柄、利用価値の無いと判断される人間には、全く見事なほどに関わらないのだな、と感じてしまう。儲けたお金を何かに還元するだとか、地元のために貢献するだとか、そう云う志は、恐らく持って居ないのだよなぁ、と。勿論、自分の得にならぬことを行う義務など無いし、その人のお金はその人本人のものなのだから、自分のためだけに使って何が悪い、と云われたら、そうですね、と云うしかあるまいし、確かに正論なのだろ。けれど、それを私自身に置き換えたとき考えるのが、冒頭の呟きなのである。
仮に、私が実業家として成功し、お金に何ら不自由せぬ身分になったとして、果たして彼らのよな人たちの仲間には、決してなれまい。高級車どころか(どのみち運転免許も無いが)、せいぜいガスオーブンや器などを、欲しかった新しいのに買い換えるくらいが精一杯か。も少し欲張って、空調設備の買い換えができれば御の字だ(笑)。そもそもが、なるたけ小さく在りたい質なのだし、野心など端から持ち合わせて居ないのだから、仕方が無い。つまり、商いやお金、人、生き方に対しての考え方が、彼らと私とでは全く異なるのである。だからと云って、否定する気もない。彼らのよな人たちが、世の中には一定数必要なのだろうし、只、私とは見る世界、住む世界が違う、と云うだけのことだ。
うん、そうだなぁ。私なら身寄りの無い犬や猫たちが、何の心配も無く生涯を過ごせるよな、そんなホームを作りたいなぁ。剣菱は勿論、気の毒なコロちゃん、野良のデカ白君も、キジトラ君も、サビちゃんも皆おいで。犬や猫だけじゃなしに、人間も居たって良い。そうやって動物も人間も肩寄せ合って、互いに助け合いながら、穏やかに仕合せに暮らせるよな、そんなホームが在ったら実に素敵じゃないか......なんて、小学生の夢みたいなことをぼんやり考えた、そんな夕暮れ。

*1:如何にもの金持ちに見えることが格好悪いと考えては居るけれど、平民との違いは明確に打ち出したい。かと云ってお洒落に見えないのは絶対に嫌だ、と云うタイプの人たち。

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