双六二等兵

ポッケにさすらい 心に旅を 日々を彷徨う一兵卒の雑記帖

小屋とマイライフ

|徒然|


小屋を建てよう、と想う。
いや何、唐突に思い立ったのでは無い。かれこれ六年越しの計画を、ようやっと重腰を上げて実行に移す気になったのである。少し前に「自分の人生を生きて居ない」と投げかけられたことをきっかけに、その言葉の意味、自らの生き方などへ様々の考えを巡らせるうちに、心の奥底へ眠って居た小屋の存在が、ふっと浮き上がってきた訳なのだけれども、周りを見渡すと、少なくとも月に一度は東京へ観劇に出掛け、都会の空気を存分に吸って帰って来るのが生き甲斐の人。折り合いの悪かった継母を看取った後、今までの分を全て取り戻すかのよに、躍起になってツアーの海外旅行に参加し続ける人。親の残した不動産のお陰で、働かずとも車やらバイクやらと道楽三昧の人等々が居り、先の問いかけの意味するところが、つまりそう云うことなのだとすれば、そうした側から見た私の人生なんて、確かに「窮屈で気の毒ねぇ」と映るのかも知れない。
そりゃ私だって、できることならパッと身軽になって、イタリアの地に須賀さんの足跡を辿るだとか、アンデスからアルゼンチンを目指すだとかの旅に出たいものだけれど、現実に目を向ければ、物理的にも金銭的にも全くの不可能だから、今となっては其処へ仄かな望みを抱くのは止した。公私の区別が極めて曖昧と云うのか、職業柄仕事と私生活とをはっきりと分けることが難しい状況にある中で、仮に私に私生活が在るとすれば、それは常に仕事と一緒くたなのであって、優先すべき事柄が”食い扶持(実に頼り無いが)=仕事”である以上、自分のことは二の次三の次。又、猫らにしても同様で、是についてはちいと長くなるので省略するが、まぁ色々事情が在って家を空けられぬ訳で、不自由な上に儲からない仕事に拘って、休みも取らず旅にも出られず。たかだか猫の世話なんかのために家も空けられず。それで良いの?愉しいの?と。「自分の人生を生きて居ない」とは、つまりそう云うことなのだろな。
だから、小屋。何故、小屋?いいじゃないか、小屋だって。周りは「小屋だなんて、どうしてまた突飛な...」と苦笑いするけれど、私にとっては突飛でも何でも無い。長いこと心へあたため続けて居た事柄である。恐らくは現在可能な唯一の、純粋に己のためだけの、私の私による私のための愉しみが、片流れ屋根を乗っけた、間口1.5m、奥行き3.6m程の小屋。簡単な図面もおこし、必要な材料の数も粗方見積もり、知り合いの設備屋氏にサッシなどの廃材の確保もお願いした。なるたけお金のかからぬよにして、こつこつゆっくり進めてゆく予定だ。

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