|本|
- 作者: 須賀敦子
- 出版社/メーカー: 河出書房新社
- 発売日: 2003/03/01
- メディア: 単行本
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『思い出せなかった話』『フレンツェ 急がないで、歩く、街』など。時折、少女のよな無邪気さを滲ませ、小鳥のよに息を弾ませつつ、意思を持った深い眼差しが、ふと覗く。けれど、私たちは知って居る。須賀さんが”夫”と云ったとき。つつましくも仕合せであった、かけがえの無い数年間の、その後ろには、避けられなかったよな運命や、痛み、暗渠のよな哀しみとが、沈黙と共に横たわって居ることを。彼女の膨大な記憶が文字に紡がれるまでには、長い時間が必要だったことを。
収録の『となり町の山車のように』の文中で、須賀さん自身が幾度も噛み締める言葉と出会うことができる。幼かった言葉はあたためられ続け、長いときを経て形となってゆくのだけれど、須賀さんのささやかな秘密を、寛いだ雰囲気の中で思いがけず聞くことができたみたいな、そんな気がして嬉しい。
六月の終わりというのに、アルプスを越える列車の客室にはうっすらと暖房が入っていた。窓のそとはただ暗いだけで、平野を走っているのか丘陵地なのかさえも見当がつかないまま、一本、また一本とうしろに飛んで行く電柱だけが、この世で自分の位置をはかるたったひとつの手がかりのように思えた。そのときもういちど、あの遠いころの列車の夜の記憶がもどった。
《夜、駅ごとに待っている「時間」の断片を、夜行列車はたんねんに拾い集めてはそれらをひとつにつなぎあわせる》
(中略)
「時間」、とあのころ言葉を深く考えることもなしに呼んでいたものが「記憶」と変換可能かもしれないとまでは、まだ考えついていなかった。思考、あるいは五官が感じていることを、「線路に沿って」ひとまとめの文章につくりあげるまでには、地道な手習いが必要なことも、暗闇をいくつも通りぬけ、記憶の原石を絶望的なほどくりかえし磨きあげることで、燦々と光を放つものに仕立てあげなければならないことも、まだわからないで、わたしはあせってばかりいた。
(中略)
《「時間」が駅で待っていて、夜行列車はそれを集めてひとつにつなげるために、駅から駅へ旅をつづけている》
もともと、ひとつのまずしいイメージから滲み出たにすぎない言葉の束なのに、それは、たとえば成人のまなざしをそなえて生まれてきた赤ん坊のように、ごく最初からしっかりとした実在をもってわたしのところにやって来たものだから、わたしはマヌケなメンドリのように両手でその言葉の束だけを大切に不器用に抱えて、あたためながら歩きつづけた。
−『となり町の山車のように』より−
掌の中のカップから湯気がすっかり薄らいで、はっと我に返ると、私はもう須賀さんの部屋に居なかった。