双六二等兵

ポッケにさすらい 心に旅を 日々を彷徨う一兵卒の雑記帖

梅雨の晴れ間に

|日々|

地球の裏側、伯剌西爾にて
蹴球W杯が極めて地味に開幕し、
極めて地味に開催中である。
今一つパッとせぬ伊太利亜の初戦は、
こちらも今一つパッとせぬ英蘭と。*1
ここの組は所謂”死の組”なのだけれども、
ちゃっかりして居る分、運と云う点については
英蘭よか、伊太利亜に分が在る気もする。


久々に訪れた梅雨の晴れ間は、
珍しく一日からりと晴れ、厄介な湿気も無い。
午前中に、夜具など大物の洗濯と掃除。
窓と云う窓を全て開け放って、隅々まで風を通す。
軽い昼食の後で、文藝別冊『荒木経惟』再読。

死に魅かれるかって?そんな、ダメだよ。死ぬのは許さない。死はさ、いろんな意味でいちばん最高の頂点かもしれないけど、頂点だし終わりだから。自分では終わりにしたくないし、頂点に行きたくない。だから具体的なフレーミングとか光の具合とか、そういうので写真を完璧なものに近くしないようにしてるの。まだ最高傑作は撮らない。完璧なものは死だから、死にたくないわけ。


今のアタシのカメラは「棺桶」なんですよ。ものすごくフレーミングがシャープなの。もう完璧なものに近づき過ぎてて、このままじゃその「棺桶」の中にアタシが入っちゃう(笑)。だから「棺桶」からちょっと替えて......「チロ死後」になったんだね。チロちゃんが死んだあと。チロちゃんが死んだあとはですね、死神を追っ払ってね、女神っつうか、生きるよろこびを撮るようにしてるんですよ。ということは、アタシも生に向かわなくちゃいけないと。

この人の撮る写真は、いつも何処か切ない。
切り取られた風景であれ、街であれ、
市井の人々であれ、愛する身近な者たちであれ。
この世に在るものは全て”生”を持って居て、
そして皆、いずれは消えてなくなってゆくのだ、
と云う前提と、”生”を見つめる眼差しとが、常に共に在る。

「まぶたを閉じるようにシャッターを切ることで、このいとおしい世界に、そして生から死へと流れゆく時間に、一つ一つ句読点を打ってゆく。」

「だから、切ない」のだ、と想う。

*1:それにしたって足攣り過ぎだヨ…。

<