双六二等兵

ポッケにさすらい 心に旅を 日々を彷徨う一兵卒の雑記帖

猫と暮らせば

|本| |猫随想|


猫のよびごえ

猫のよびごえ


町田家の猫シリィズ最新刊は、今や最古参となった奈々とそれに続くエル、中堅どころのシャンパン兄弟らとの暮らしに、またまた新たな猫(犬までも)が加わり、怒涛の如き泣き笑いの日々が綴られる。何しろ奈々嬢を始めとする先住の四匹は、揃いも揃って皆曲者揃い。其処へビーチだのトナだのネムリだのシゲゾーだの、次々と新たな猫たちがやって来る訳だから、当然一筋縄にはゆかぬのである。氏は終始猫らに振り回され、部屋は滅茶苦茶となり、エルは執拗にマーキングを繰り返し、奈々に至ってはストレスのあまり、カリシウィルスによる病を煩ってしまう。ようやっとビーチとトナが貰われて行くものの、ほっとする間も無く今度はシゲゾーの登場である。
それにしても『猫にかまけて』(→)から、随分遥々と時が過ぎてしまったものだなぁ、と感じ入らずには居られぬし、町田流の猫エッセイと云うことで、面白おかしく書かれては居るけれども、いやはや。実際のところ是はさぞ大変であろうなぁ、と想う。今回は家の猫たちの話が中心なので、保護団体からやって来た一時預かりの猫たちについての記述は少ないが、彼らにしたって何れも人慣れできなかったり、猫エイズ白血病を患って居たりであるから、そうなると当然、一時預かりとは云うものの、誰かに貰われてゆく可能性はほぼ皆無に等しい訳で、そんな猫たちの世話だけでも相当に大変であろうに、其処へ加えての、家猫らの騒動てんやわんやである。拙宅など、たった二匹で一杯一杯、しっちゃかめっちゃかなのだから、その苦労は想像に難くない。
しかし如何に彼らに振り回されようと、氏はせっせと餌を買い、せっせとトイレを掃除し、掃除を終えたら餌を補充し、水を替える。
人が生き、猫たちが生きる。そうして町田家の日々は、今日も騒々しく過ぎてゆくのであろう。


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さて。猫と暮らす、と云うことは、ともすると住まいが雑多となることを受け入れることでもある。即ちそれは、居住空間の至るところを、猫厠だの猫タワーだの猫布団だの餌場だのが侵食してゆくことを意味する。しかも、我が国の猫用品市場には何故か過剰にファンシーな色柄、形の品(でなければ、実も蓋もないくらい味気無い、実用一辺倒の品か)が多く流通し*1、少しでも住まいに馴染みの良い品を探すのが、なかなかに難儀とくる。気の利いた品は大抵が舶来モノで高価な場合も多く、従って、懐が潤沢であったり、或いは部屋数や広さに、比較的余裕の在る住まいでもなければ、洒落た設えなんぞ、端から諦めねばならぬことが少なくないのじゃなかろか、と。
拙宅について申せば、如何にも昭和な元アパート(因みに風呂はバランス釜)へちょいと手を入れた程度の住まいである。そもそも小洒落た設えには縁遠い故、然程に嘆くことも無いのだろうが、辛うじて三部屋在るとは云え、其々が昭和的ちんまりサイズで、只でさえモノが多いところへ、あれこれと猫用品が加わり、一匹ならず二匹に増えたことによって厠が、餌場が、休み場が、玩具が、タワーが増え、手狭な住まいを侵食。更に手狭となり、何とも情けないこととなって居る。又、暮らしに潤いを...と花や小物など飾ろうものなら、飾った傍から猫どもの目がキラリ。悪戯の標的となって無残な姿と成り果てるため、それすら叶わないのである。哀しい。

*1:買い手の需要が圧倒的にファンシー寄りなのかも知れぬが、その辺り、ちょっとは考えて欲しいものである。

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