双六二等兵

ポッケにさすらい 心に旅を 日々を彷徨う一兵卒の雑記帖

Coffee Blues

|縷々|


時折来店するお嬢さんが居る。数年前は高校生であったから、歳の頃二十歳になるかならぬかの学生さんか。とても物静かで繊細な感じのお嬢さんで、ぱっと見には分からないのだけれど、恐らく片方の足に障害を持って居る。いつだったか。いつも歩いて来る風なので、お住まいは近くなの?と聞いたところ、親戚がこの近くに居るのだが、お嬢さん本人は電車で四十分程離れた町に住んで居て、だから独りで来るときには、わざわざ電車とバスを乗り継いで来てくれるのらしい。不自由な足を抱えて。この日、彼女から小さな一筆箋へ書かれた手紙を頂戴した。揃いの封筒に入れられて、控えめなランプの絵の施された、楚々とした小さな和紙の一筆箋。


遠くに住んで居るのでなかなか来られないのが残念ですが、嫌なことや哀しいことが在っても、ここへ来て珈琲を飲み、色々な本を読んで過ごして居ると、ゼロになってリセットできる。美味しい珈琲とひとときを有難う。私にとってかけがえの無い場所、大好きな場所です。


要約すると、そんな言葉が美しい筆跡でしたためられて居た。嗚呼、何て有難いことだろう。胸と目頭とが熱くなって、ささくれた心に沁みた。
長い間、この仕事と引き換えに様々の事柄を諦めてきた、と想ってきた。人並みの収入。在った筈の別の将来。音楽と出会いに行くことや、旅へ出ること。自由や正直さ。(音楽や旅なんてものは、端から見ればつまらぬ、実に些細なものであるかも知れないけれど、それらは血肉と同じよに私自身の一部でもあった。) 或いは、諦めねばならない、と頑なに自分自身を縛ってきたのかも知れない。でも、一体何のために...? 私にとっての仕事とは職業であり、頼り無い食い扶持であり、そして又、心の在り処であり、人生そのものとほぼ同化してしまった。と同時に、厄介な枷でもある。もしこの枷さえ無かったならば。自らに枷を与えなかったならば。私は既に何処かへ飛んで行ってしまったろう。故に、この仕事を心から愛しもし、時にはひどく疎ましくも想う。所謂、愛憎入り混じると云うやつである。しかし、仕事への信念がぐらと揺らぎ、心が枷の疎ましさへと傾きかけるとき。こうしていつも引き戻されるのだ。
他所の店がどうであるかは分からぬけれど、私の店ではしばしば卓上へ、先に述べたよな書置きの残されて居ることが在る。この店の存在が、心を折った誰かの助けに。かけがえの無い場所になって居る。前述のお嬢さんを始め、イーニドちゃんやナード君など。洒落た今様の店が他に幾らでも在る中で、この変哲の無い店を選んでくれて、足を運んでくれる人たち。世の中の速度や価値観に押しつぶされそになって、この場所を心から求めてくれる人たちが居る限りは、この場所を守ってゆかねばならない。灯火を絶やしてはいけない。それは大切な使命であり、もしかしたら、人生を捧げるに十分値するのではなかろか...。諦めて手放した筈のものが、或る日ふと、違ったものへ姿を変えて戻って来る。
私は店主として、人間として全くの未熟者であるから、これからも使命と枷との間に揺れることが幾度と在るだろう。けれど、こんな仕事はきっと他に無い、とも想う。

<